まず、2005年現在の“ルルドの観光ツアー”を紹介した某広告の謳い文句を紹介してみよう。
「超常現象といえば眉唾なものが多いですが、南フランスのルルドにある“ルルドの泉”だけは、教会や科学者、また医学者からも『本物の奇跡の水』とお墨付きなのです。」
これに限らず、現在でもルルドを紹介する記事には、125年前の話をそのままに伝える記事が多く見受けられる。では、125年前から現在までに一体どれぐらいの奇跡が起きたのだろうか。
● 奇跡の事例 ●
まず、ルルドの泉で病気が治ったと自己申告をした人は、1862年以来6700人にものぼるが、泉が発見されてから現在までに教会から正式に奇跡と認定された症例は、わずか66例しかない。その数を期間で割ると、2年に1例あればいい方という数である。しかも、時代とともに医学が発展を遂げた近年では10年に1例という認定ペースに落ちているという。
これを現在の年間500万人といわれる巡礼者の数に置き換えて単純計算すると、2年に1例の場合、500万人×2年=1000万人に1人。
10年に1例であれば、500万人×10年=5000万人に1人という確率になる。
ちなみに、1960年から2000年までの40年間に認定された症例は、わずか4例しかない。
奇跡であることが証明されるためには、その治癒が瞬間的に起こり、それまでに受けてきた医療の効果や自然回復など、科学的に考えうる現象を超えた治癒であること。そして、その治癒は永続的であることなどが証明される必要があるとされている。
教会がこのような厳しい科学的な検証をおこなう理由は、ルルドの奇跡が神の恩寵によるものであることを示し、偽物を排除するためである。
奇跡の認定数が少ないのは、教会側が厳しい基準を設けているのを裏付ける証拠ともいえるが、その厳しい基準をパスして奇跡と認められた症例が、果たして本当に奇跡であったのかどうかについては、よくわからないというのが現状である。
イギリスのジャーナリスト、パトリック・マーンハムは著書『ルルド 一ジャーナリストがみた現代の聖地』の中でこう述べている。
「これまでにおびただしい数の人々がここで水浴し、おびただしい希望がくじかれてきた。ここで働く人たちにとって、病気の治癒ほど思いがけないことはないのである。」
また昔撮られたルルドの写真には、洞窟の上に掛けられた数多くの松葉杖が写っていたが、現在ではほとんど見られなくなっている。実はこれらの松葉杖は、もともと奇跡のおかげで歩けるようになった人たちが置いていったものではなく、単に“ディスプレイ”されただけの飾りものだったのだ。
また、今から48年前の1957年、心霊研究協会の元調査員であるイギリスの心理学者D.J.ウェストは、1930年代〜40年代にかけてルルドで起きたとされる11の奇跡の症例を独自に再評価した結果、「いずれも奇跡的とは言えない」と判定している。
● 発見者ベルナデットの証言 ●
まず、発見者であるベルナデットは、自分が見た白い貴婦人を「聖母マリア」だとは一度も言っていない。実際は、ビゴール地方の方言である「アケロ」=「あれ」、または「白いもの」と呼んでいたという。
もしも彼女が、白い貴婦人のような幻影を聖母マリアだと知っていた(思っていた)なら、聖母マリアを「あれ」などと呼ぶはずはない。また白い貴婦人の方もベルナデットに一度も名乗らなかったのだそうだ。
← この物語の挿し絵にはよくこんな絵が使われており、「はっきりと聖母マリアを見た」という雰囲気になっているが、実際にベルナデットが見たものは、右下↓のような、おぼろげな白い幻影だったのだ。

泉についても同様である。ベルナデットは、
一度も「奇跡の泉」だなどとは言っていない。
では、一体誰が「聖母マリア」だと断定し、
「奇跡の泉」だと言い始めたのか?
それは、ベルナデットの周囲に集まってきた
群衆と教会である。
@ 白い幻影が聖母マリアだということになったのはなぜか
これは前のページにもあったように、「ベルナデットが『白い女の人が「無原罪の御宿り』と名乗った。」という一点だけを根拠に教会が聖母マリアだと断定したからである。しかも、そう断定するに至った理由は、「ベルナデットのような貧しい家の無学な少女が、そんな難しい教会用語を知っているはずがないから。」 ほとんどそれだけである。
(これと同じようなセリフ、どこかで聞いた覚えがありませんか?)
A 奇跡の泉の話はどこから出てきたのか
これついては、泉の発見直後からすぐに水を汲んで家に持って帰る村人がいたせいで、そこから奇跡の噂がほぼ同時に発生したというのが真相らしい。
仮に、現在ルルドの泉で奇跡が起きていなくても、それはベルナデットの責任でもなければ、聖母マリアがお怒りになったわけでもない。どちらもただの一度も「奇跡の泉」だなどとは言っていないし、「病気が治る」と約束したことも示唆したこともないのだから。
「泉の水が奇跡を起こす」と言い、奇跡の物語を広めたのはほかでもない、奇跡を期待して泉に押し寄せた大衆自身だったのである。泉は発見後、教会の思惑と大衆の希望によって、たちまちベルナデットの手の届かないところへ祭り上げられてしまった。
そして、それから以後、1世紀以上にも渡って「聖母マリア」と「奇跡の物語」だけがひとり歩きしているのだ
当時、8000人もいた見物人の中の誰一人、聖母らしき人影すら見えていなかったというのにである。
自分の話に熱狂した人々が、話をどんどんエスカレートさせていくのを目の当たりにしながら、ベルナデットは何を思っていただろう。
奇跡の話を信じて泉に押し寄せる人々、とりわけ重い体をひきずりながらやって来る病人たちを毎日見ていたベルナデッタは、きっと苦しかったに違いない。
きっと、「自分があんなことを言ったせいでこんなことになってしまった。」と、自分を責めて、思い詰めたこともあるだろう。
そして、「せめて1人でも多くの人の病気が良くなりますように。」と、毎日祈り続けていたはずだ。
彼女が尼僧として一生を過ごそうと決めたのも、実はそうしたことが原因だったのではないかと私は憶測している。彼女は聖人である前に、優しい心を持ったひとりの人間だったと私は思う。
この話は「コティングリーの妖精写真事件」を思い起こさせる、実によく似た話である。
幼い少女の話に大人たちが飛びつき、やがてその中からよく確認もせずに断定する者が現れ、あっという間に、本人の話などそっちのけで、抜き差しならないところまで話を祭り上げてしまい、結果、幼い証言者は事の重大さに怯え、真実を打ち明けたいと願いながらも、他人の面子や期待でがんじがらめになり、口を閉ざすほかなくなるのだ。
ベルナデットは以後の生涯、泉で起きたといわれる奇跡については無関心な態度を通した。
喘息の持病があった彼女は、すぐそばにある「奇跡の泉」には目もくれず、山を超えた隣村の温泉場まで喘息治療の湯治にでかけていた。このことだけでも、ベルナデット本人が泉の奇跡など少しも信じていなかったことがよくわかる。
また、ある時、旅人から泉の奇跡について尋ねられた彼女は、
「あの話に本当のことはひとつもありません。」と答えている。
● もうひとつの奇跡 ●

1933年に聖人として列聖されたベルナデッタの遺体は、まったく腐敗せず何十年も変わらぬ姿のままであると信じられているが、実際は、1925年に行われた遺体の調査で腐敗が始まっていたことが確認されている。(※上の写真は、一般公開されているベルナデットの棺。)


1925年、2度目に棺を掘り返した時、すでに彼女の顔は黒く変色し、目は落ち窪んでしまっていた。そのため内臓の一部を取り除き、彼女の写真をもとに生前の顔に似せてロウのマスクが作られた。

彼女の遺体の顔の上には、その精巧に作られたマスクが被されている。

遺体が腐敗しないというのは、列聖されるための大きなポイントだそうだ。
そして時に、腐敗しない遺体そのものに感動して、より一層信仰心を高める人もいるという。
またその感動がきっかけとなって、その人物を信仰するようになったという人の例もある。
たしかに、そういうことはあるだろうなぁと思う。
キリスト教を信仰する一部の人たちにとって、彼女の遺体が腐敗しないということは、単に「不思議」なだけでなく、大きな意味があることなのかもしれない。
私にもなんとなく理解できる。
しかし、それでもやっぱり、私はなんとなく彼女が気の毒に思える。
生きている間に十分“奇跡の聖女”の役割を果たした彼女に、この上作りもののマスクをつけてまで奇跡を演出させ続けるよりも、“塵は塵に”の教え通り、静かな場所で、人間らしく穏やかに休ませてあげたいと思う。たとえ肉体が朽ちようとも、彼女が人のために祈り続けた優しい聖女だったことに変わりはないのだから。

< 参考文献 >

トンデモ超常現象99の真相 フランスの不思議な町
ルルド 一ジャーナリストがみた現代の聖地
ルルドにはまだ奇跡があるのか
ルルドの群集 他
気になる資料室〔
分室 〕職員のサボリ部屋 「腐らない死体について」