フランスとスペインの国境になっているピレネー山脈のふもとに位置するルルド村は、人口15000人ほどの小さな村である。
ルルドの泉の奇跡で世界的に有名なルルドは、カトリック教会の巡礼地としても有名で、年間約500万人もの人がこの地を訪れている。
(※左の写真は、巡礼者が集まるルルドの大聖堂)
● ルルドの泉 - 奇跡の物語 ●
1858年2月11日、ルルド村に住む14歳の貧しい家の少女ベルナデット(ベルナデッタ)・スビルーは、妹と友達の3人でマサビエルの洞窟のそばを流れる川で、薪にする流木を集めていた。(※下の写真は、当時のベルナデッタ)
川の向こう岸のマサビエルの洞窟の方へ渡ってみようと思ったベルナデットは、川を渡るためにその場で靴と靴下を脱ごうとした。その時、ベルナデットの耳には、ふいに突風が吹いた様な音が聞こえたが、まわりを見ても木々は少しも揺れてなかった。
気のせいかと思い、再び靴下を脱ごうしていると、またさっきと同じ突風が吹いたような音が聞こえたので、彼女は、今度はマサビエルの洞窟の方に目をやってみた。
すると一部の木々だけが強い突風に煽られたように揺れており、マサビエルの洞窟から現れたと思われる金色の雲にまばゆいばかりの光が射していた。 目をこらしてよく見ると、その光の中には、これまでに見たこともないような美しい女性が立っていた。
その女性は、水色の帯を白いドレスの上に着けており、頭から白いベールを被り、手に白い玉と金の鎖のロザリオを持っていた。足は裸足のままで、足首には黄色い薔薇をつけていた。
その姿は、まさしく聖母マリアそのものであった。
次の瞬間、ベルナデットはポケットのロザリオを出して一心に祈りを捧げた。聖母マリアが自分に向かって手招きしているのが見えたが、ベルナデットはその場に釘付けになったまま見ているだけだった。しばらくすると、聖母マリアとそのまわりを照らしていた光は突然消えてなくなった。
ベルナデットは一緒に薪拾いに来ていた2人に自分の体験を話したが、2人とも
「ベルナデットがひざまずいていたのは見たけど、マリア様の姿なんてどこにも見えなかった。」
と言った。
ところが、この2月11日以来、聖母マリアは何度もベルナデットの前に姿を現した。
最後の出現の日となる7月16日までの出現回数は、なんと合計18回にも及ぶという。
「マサビエルの洞窟に白い貴婦人が現れた?!」
その噂はたちまち広がり、初めて聖母マリアが現れた日から14日後の2月25日には、見物人は8000人にまで増えていた。
そうして迎えた9回目の聖母出現の日 ―
白い貴婦人はベルナデットに
「泉の水を飲み、その水で洗いなさい。」と言った。
言うとおりの場所をベルナデットが掘ってみたところ、そこから水がどんどん湧き出てきて泉になった。
泉のそばに住む眼病を患った青年がこの泉の水で顔を洗ってみると、数日後に彼の目は元通りに治った。
またどうしても治まらない腕の痛みを訴えていた老女が泉の水に腕をつけると、嘘のように痛みが消えた。
当初、白い貴婦人を見たというベルナデットの話は、教会関係者をはじめとする多くの人々から疑惑の目で見られた。
だが、ベルナデットが、「白い貴婦人は、ご自分のことを“無原罪の御宿り”であるとお教え下さった。」と村人に告げてから人々は少しずつベルナデットの聖母マリアの話を信じるようになった。
“無原罪の御宿り”とは、1854年に教皇ピオ9世によってカトリックの信仰箇条として宣言されたばかりの教会用語であった。
無学なベルナデットがそのような教会用語を知るはずがなく、彼女が言葉の意味を理解していなかったことからも、聖母マリアが本当に現れてベルナデットに名乗ったものであると信じられた。結局、ベルナデットの語ったその言葉が、白い貴婦人は聖母マリアであり、聖母出現が本物であったことを示す決定的な証拠とされたのだ。
1862年1月18日、司教区調査委員会による2年に渡る調査結果、現地司教は、ルルドのマサビエルの洞窟の聖母出現を公的に認める教書を発布した。
● 万病を治す奇跡の水の噂 ●
ルルドの泉の不思議な話は瞬く間に世間に知れ渡り、様々な難病に悩む人々が世界中から大勢訪れた。
それらの人々は、皆、病気やケガを治したい一心でルルドに望みを託し、泉の水を身体に浴びたり、飲んだりした。
すると、どうだろう。不思議なことに、そうした人々のうち何人もの病気が回復し、ケガが治ったのだ。中には、すでに医者に見はなされた病状で、治る見込みがないとされていた患者が全快したという例も多く見られたという。
ベルナデッタが聖母のお告げを受けて泉を掘った後、1858年〜1861年までのわずか3年間の報告だけでも、そうした事例は100件以上もあったといわれている。
現在、ルルドの泉は、ローマ法王庁公認のカトリック最大の聖地となり、1864年には聖母が出現したといわれる場所に聖母像が建てられた。この洞窟の入り口には、泉の奇跡で歩けるようになった人々のいらなくなった杖が数多く掛けられ、一説では、「足の治療に特によく効く。」といわれていることから、洞窟のそばに設けられた沐浴所では、多くの車椅子の人々が泉の水に足を浸している。
このような奇跡が起こることを祈りながら、最後の望みをかけ、藁をもつかむ気持ちで世界中から集まってくる人々の長蛇の列は、深夜になっても途絶えることがないという。
● 奇跡の水 ●
ノーベル医学生理学賞を受賞したアレキシス・カレル博士は、自著『ルルドへの旅』の中で、「ルルドの泉が引き起こした数々の事例は奇跡だ」と述べており、また多くの医師らにもルルドの奇跡は広く認められているという。
ルルドの泉の水の成分は、天然ゲルマニウムイオン水で、現在でも1日約12万2400リットルの量が湧き出ている。
● その後のベルナデット ●
その後、聖母マリアや泉の奇跡ついて、ベルナデットが自分から積極的に語ることはなかった。
1866年、ヌヴェール愛徳修道会の修道院に入り、尼僧として静かな一生を送ったが、1879年4月16日、肺結核により35歳の若さで他界した。
ベルナデットの死後30年経った1909年9月22日、
司教立ち会いのもと、ベルナデットが埋葬された墓が掘り返されることになった。
彼女が眠る棺のフタが開けられた瞬間、まわりにいた全員が息をのんだ。
なんと彼女の遺体は全く腐敗していなかったのだ!
ずっと眠り続けていたのではないかと思えるほど、30年前と変わらぬ姿のままだった。
それから約16年後の1925年4月18日、再度、ベルナデットの墓が掘り返された。
が、またもや16年前に掘り返した時とまったく同じ状態を保っていた。
死後40年が経過してもなお、彼女の遺体は腐敗しいなかったのだ。
当時、ベルナデットの遺体を調べた外科医のタロン氏は、その3年後、医学誌に当時の報告を発表した。
その報告の中でタロン氏は、
「ベルナデットの骨や筋肉は完全に保存されていた。中でも特筆すべきは、死亡直後に真っ先に腐敗が始まるはずの肝臓が、驚くべきことに全くそのままの状態であったという点である。」と、述べている。
1925年 ― まったく腐敗しないという奇跡を見せるベルナデットの遺体は、ヌヴェールのサン・ジルダール教会に安置され、一般にも公開されるようになった。
1933年 ― ベルナデットは教皇ピオ11世から聖人に列聖された。
以上、ここまでが『ルルドの泉の奇跡の話』として、一般に広く伝えられている話である。
が、この話はここで終わりではない。
『ルルドの泉の奇跡』については、それ以降も各方面から研究され、検証され、様々な統計がとられている。その結果、よく語られる「奇跡」の噂と真相の間には、なにやら大きな隔たりがあることが明らかになってきている。
ベルナデットの死からすでに125年が経過した現在わかってきた事実とは・・・?
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