コティングリーの妖精写真事件

    

コティングリー渓谷には妖精が棲んでいた?!

少女たちが撮った写真に写った妖精とは?大論争を巻き起こした事件


1917年7月、イギリスのヨークシャー州ブラッドフォードにあるコティングリー渓谷で、エルシー・ライト(16歳)と従姉妹(いとこ)のフランシス・グリフィス(11歳)は、自分たちが妖精と一緒に遊んでいるところを父親に借りたカメラで写真に撮った。コティングリーの妖精事件

この二人は日頃から、
「私たち、いつも森で妖精たちと遊んでるのよ」と、まわりの大人たちに話していたが、とうとうそれを証明する証拠写真を撮ったのだという。

これがのちに、“コティングリーの妖精事件”と呼ばれることになる大騒動の始まりであった。

1917年〜1920年に二人が撮ったそれらの写真には、楽しげに踊る妖精の姿が写っていたが、それらを現像した父親のアーサーは、どうせまた二人のイタズラだろうと思っていたという。


コティングリーの妖精写真2ヶ月後、今度はフランシスがエルシーの写真を撮った。

すると、そこにはノームが写っていた。
※リンク元:フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)(左の写真がその時のもの。この写真ではエルシーの手の指が、なぜか異常に長く写っている)

写真におさめられた妖精たちの姿は小さく、人間の形をしており、1920年代の髪型、薄いガウンのようなものを羽織り、背中には蝶々のように大きな羽がついていた。

ノームの身長は30cmぐらいで、全体的にエリザベス王朝時代を思わせる風貌をしており、背中には妖精同様の羽がついていた。

1920年、『シャーロック・ホームズ』で有名な作家のアーサー・コナン・ドイルにこの写真が届けられたことから、コティングリーは、一大“事件”の舞台として世界中に知られることになる。


ドイルが写真の専門家たちに依頼し、これらの写真に二重写しがないか調べさせたところ、写真を鑑定した専門家が出した結果は、これらの写真が本物だということを示していた。二重写しの痕跡がどこにも見られなかったのだ。

『 妖精の姿をとらえた写真が存在する!』アーサー・コナン・ドイル

1920年12月、「ストランドマガジン」という雑誌に、ドイルは妖精の写真を発表した。これに端を発して、事件は一大論争へと発展する。(右の写真: アーサー・コナン・ドイル)

国中から大勢の記者が取材に詰めかけた。小さな田舎町で起こったこの珍事に誰もが昇天し、注目した。

ドイルは写真を、「紛れもない本物」と断定し、メディアを通じて、「写真は妖精の存在を裏付ける証拠である」と発表した。そして自説について述べた本まで出版した。

妖精写真は全部で5枚存在しているが、その内の3枚は、このドイルの依頼で新たに撮られたものだ。一連のトリック疑惑に対して、ドイルは、「労働者階級の幼い子供にトリック写真を作る知識などあるはずがない」という、現代の感覚で考えると、卑下とも庇護ともとれる言葉で反論した。そして、決して自説を曲げようとはしなかった。


コティングリーの妖精写真“コティングリーの妖精写真”は、疑問を持つ懐疑派の人々によって、その後何年も様々な方面から検証された。

その中で明らかになった事実は次のようなものである。

@1917年当時、16歳だったエルシー・ライトは、家の近くの写真館でアルバイトをしていた。
「ただの使い走り程度だった」と説明されていたが、よく調べてみると、実際は
写真の修整も手伝っていた。
写真の修正技術を知っている人は、当時は非常に稀だったが、
エルシーは、修整の現場を知っている子供だったのだ。

「子供にトリック写真の知識などあるわけがない」としたドイルの反証は、「ドイルの認識不足と調査能力のなさ」を示す結果になった。(写真の捏造・修整については、本サイト歴史写真トリック記念館でも少し取り上げています。興味を持たれた方は、あとで覗いてみてください)


A1921年、ある女性写真家が、少女たちがどのようにして妖精写真を作ったのかを示す、非常に出来の良いトリック妖精写真を撮って発表していた。


プリンセス・メアリーのギフトブックB1977年には、“プリンセス・メアリーのギフトブック”という絵本(1915年発行)が発見された。

その本には踊る妖精の絵が描かれており、写真の妖精とそっくりであった。この本に描かれている妖精には、羽があるものとないものの両方が描かれていた。
(左下の絵の妖精には羽があり、右下の妖精にはない)


プリンセス・メアリーのギフトブック プリンセス・メアリーのギフトブック

C当時、調査をしている人々に、エルシーの母親はこう言っていた。
「あの子はすごく想像力が豊かな子供なんです。
小さい頃から妖精のお話が大好きで、
妖精の絵ばかり描いていました。 」


D1978年にコンピューターを使って写真を分析したところ、光の当たり方が他の部分と異なっていることから、写真の妖精は立体ではなく、平面な紙などに描かれ、切り抜かれたものであることが判明した。


E原版ガラスプレートのネガを分析したところ、写真に写っている妖精の羽にまったくブレがなく、完全に静止しているものであるということが判明した。この点については、当時からすでに指摘されていた。


1930年7月7日、アーサー・コナン・ドイルが死去した。
あれほどの騒動を引き起こした事件も次第に忘れ去られていった。

しかし、半世紀後の1965年、この事件は意外な復活を遂げる。

1965年、デイリーエクスプレスの記者は、妖精事件の真相を探るために、その後もコティングリーで暮らしていたエルシーのもとを訪ねた。
記者が真相をたずねたところ、
「実は、あの写真は私とフランシスの想像の産物だったの」と、エルシーがあっさり告白したのだ。

1965年5月24日 ―
デイリー・エクスプレス誌は、
エルシーが偽造を認めたと報道した。


どんな分析結果が出されようとも、姉妹は決して捏造を認めようとはしなかったが、晩年のフランシスが書いた告白文によって、ようやく事実が明らかになった。

「私の唯一の遊び相手は、いとこのエルシーだった。エルシーはコティングリーの自然が大好きで、私たち二人は、よくベック川に遊びに行った。

でも川にいくたびに、洋服や靴を汚して帰ったので、私は、よく母に叱られ、『どうして川にばかり遊びに行くの』と聞かれて、「妖精に会いにいくの」と答えていた。

『もっと別の場所で遊びなさい』と言われてもいたので、写真があれば川に行くことを許してくれるかも知れないと思い、エルシーが妖精の絵を描いて、それをピンで止めて、写真に撮った。それがドイルの手に渡り、あんな大騒動になってしまった。」


1983年4月4日、タイム誌にフランシスの告白文が掲載され、同紙上で、エルシーも真相を告白した。

その後、イギリスの超常現象番組に出演した二人は、番組の中でトリックの真相を自ら語った。その内容は、先の告白文と同じものであった。

二人は、妖精の話をしても真剣に取り合わない大人たちをやりこめたくなって、トリックを思いついたのだといった。あれから60年以上が経過し、あの時の少女たちは老婆になっていた。

彼女らが番組で明かしたトリックはこうである。“プリンセス・メアリーのギフトブック”にあった絵を厚紙に模写して、羽を描き加えて妖精に仕立てた。それを切り抜き、帽子を止める長いピンで地面や木や葉っぱなどに固定して撮影した。ただそれだけだった。写真の知識など少しも必要としない、二重写しの痕跡など調べたところで出てくるはずがない。実に原始的なトリックだったのだ。

二人の妖精(fairy)の話(tale, story)は、やはり「fairy tale(おとぎ話)」,「fairy story(うそ)」だったのだ。


最後の妖精の写真彼女たち二人は、はじめは、ほんのイタズラのつもりだったのに、ドイルや他の大人たちが騒ぎだして、それぞれ勝手に主張をはじめ、事件は二人の想像以上に大きな騒動になってしまった。

 エルシーは、
「ドイルのような立派な大人が、私たちの妖精を本物だと主張しているのに、子供の私たちが真相を語るなんていけないと思った。私たちは黙っていることにした」 
と語った。

そして二人は、ドイルたち関係者がこの世にいる間は、決して真実は語らず、二人だけの秘密にしておこうと誓い合ったのだという。こうして真相を告白した二人だったが、フランシスの方は、最後の一枚だけは本物であると言い続けていた。
(上の写真が最後の写真)
また二人とも妖精は見たが、写真に撮ることはできなかったのだとも言っていた。


しかし、二人の告白を待つまでもなく、写真の正体はトリック写真であるということは、懐疑派の人々の手で明らかになり、次いでデイリー・エクスプレス誌上でも偽造を伝える報道がなされていた。・・・にもかかわらず、私の子供時代、1970年代後半になっても、これらはまだ“妖精が撮影された証拠写真”として、『妖怪図鑑』などの子供向けの本や雑誌に載っていた。

この写真を初めて見たのは小学2年生ぐらいの時だったと思うが、当時の私は、こんなかわいい女の子たちが嘘をついているとは到底思えなかった。「外国には妖精がいるんだ。いいな〜」と信じていた。当時の子供なら知らない子はいないといってもいいぐらい、何十年も経った日本でもこの写真は有名だったのだ。

少し大きくなって、疑いを持って写真を見た時、「これ、絵じゃないの?」と、一瞬頭をよぎったが、ではまだ「どうしたらこのような写真が撮れるのか解明されていない」、「やはり、妖精の存在をとらえた貴重な証拠ではないだろうか」という説明がされていた。子供だった私はを信じた。

大人がどうやったら撮れるのかわからないと言うのだから、自分がわかるわけがないと思っていた。本当のことを教えてくれるメディアなど、当時にはなかったのだ。当時はまだ、心霊写真は今ほど話題になってなかったので、UFOと一緒に妖怪や妖精もオカルト本に載っていた。今考えると、ちょうど入れ替わりの時期だったのだろう。

実は、オカルトには流行りが存在する。中世には魔女が流行り、日本では妖怪が大流行り、次いで妖精、狐のたたり、コックリさん。その後、UFOが出てくると妖精や狐は誰も見なくなり、徐々にすたれて消えた。妖精はこの事件が最後だったと言ってもいいだろう。(小さい話はたまにあったけど)

映像メディアの普及と共に、ネッシーとUFOと心霊写真の時代がやってきて、デジカメや写メールが出てくると(要するに誰でも使えるようになると)、流行りに一層拍車がかかる仕組みになっている。ネットでは呪いを代行するサービスの開業が相次ぎ、占いも大盛況である。技術が進化する度に、オカルトサービスが新しいビジネスを考え出し、オカルト後退を狙って人を脅して金を取る。昔からやり口は一緒。

「ホントにあったらしいよ」、「コックリさんは当たるんだって」 面白半分の噂やマスコミが、オカルト・ビジネスの基盤を一層磐石なものにしている。最近、またまたコックリさんをリバイバルさせようとしているが、焼き直しのズサンさにはガッカリする。せめて新キャラ考えろよな〜。(-_-;)

私はひどく幽霊を怖がっていたが、色々知るうちに、ある日憑き物が落ちるように恐怖心が消えた。歴史を見ていて仕組みが分かったのだ。アクビが出るほどいつも同じ、手垢にまみれた話の繰り返しである。幽霊は大量虐殺をしたりしない。ソニー・ビーン一族のように、何百人もの人をとって喰いはしない。

いつの時代も一番怖いのは幽霊ではない。人につけ込むスキを狙って何かを企む人間である。


アーサー・コナン・ドイルに話を戻すと、実は、彼は作家であると同時に熱心な心霊研究家でもあった。

もともと神秘的なものに興味があったドイルだが、晩年は本格的に心霊学に傾倒し、英国心霊現象研究協会会員となるが、会の考え方は科学的にすぎて自分とは合わないという結論に達し、脱退している。

当時、文化人や知識人の間で神秘主義が持てはやされた時期があり、そうした風潮の中で、“心霊主義・聖パウロ”の異名を取るドイルは、それまでに得た印税収入のほとんどを注ぎこんで交霊会や心霊学の講演を行い、またそれに関する執筆なども行なっていた。

しかしコティングリーの妖精事件でドイルが大失態を演じた裏には、こうした心霊主義だけが原因とは言い難いものがある。彼がのめり込んだ背景には、生い立ちが影を落としているようにも感じられるのだ。

ドイルが敬愛する叔父は、妖精画の名手だった。またアルコール依存症の父親は、依存症が悪化して精神病院に入院中、妖精の絵ばかり描いていた。ドイルの家系は、妖精に憑かれた家系だったといっても過言ではない。そんなドイルが誰よりも強く信じたかった気持ちは、切れば血の出る人間として見れば、なんとなく分かる気がするのだ。彼の誤りは、自分の思い入れで濁った説を公言しておきながら、反証をまったく受け入れようとしなかった姿勢、自らの影響力を考えなかったことにある。

写真が本物か偽物かという問題より、「なんで一大事件といわれるまでにエスカレートしたのか?」 実は、私がずっと気になっていたのはそこだった。


オカルト的な考えというのは、頭の良い人ほど、一度傾倒してしまうとタチが悪いのだという。

普通の人よりも固執してしまい、強く信じる傾向にあるのだ。「検証を試みたが解明出来ないから、科学では解明できない超常現象なのだ。自分は奇跡を目の当たりにしているのだ」と思い込むことがある。これは言い換えれば、「自分の頭の良さを信じている」ということだ。だが、そこには普通気がつかない。皆、簡単に確信してしまうのはそのためだ。「自分の知識を信頼しすぎる」のだ。それまで優秀だと言われてきた人ならば尚更だろう。

オウム信者には一般的にエリートといわれる人たちが多数含まれていて、世間を驚かせたが、ここにも同じ錯誤が働いたのだといわれている。「自分が見たものは本当にそうだったのか?」、「他の人の見解はどうなのか?」、「偶然ではないのか」、また「見たからどうだというのか」

そういう姿勢はあまのじゃくのように思われるかも知れないが、心のどこかに持っておくことは、やはり大切である。 ドイルの例を見ても分かるように、人間は間違いやすい動物なのだから。

ドイルがこの世を去った1930年7月7日から、昨日でちょうど75年が経った。現在、写真の捏造技術は格段に巧妙さを増し、それらを見抜くのは至難の業である。しかも、その数は年々莫大なものになっている。 それ故、誠実な情報を見抜く、個人の冷静な判断と、理性が要求されるのである。


< 関連書籍 >   

 コナン・ドイル 妖精の出現―コティングリー妖精事件

 コナン・ドイル 妖精物語―実在する妖精世界  

 ジョン・クーパー コティングリー妖精事件 (映画「フェアリー・テイル」の原案)

 
  これを観れば全貌が分かる、幼い二人の不安だった心境も描けていて美しい作品。
  おすすめ→ 
映画 フェアリーテイル



オーパーツ 遭難・漂流事件史 残虐猟奇事件と残酷史 奇人伝説
世界ミステリー事件史 怪奇現象ファイル おカルト教団残酷物語 歴史写真トリック記念館

※写真引用元: Cottingleyconnect http://www.cottingleyconnect.org.uk/fairies.htm  Cottingley.net  http://www.cottingley.net/images/cd1_lrg.jpg

Copyrightc2005 気になる資料室 all rights reserved.
※本資料作成にあたり、正確性には留意しておりますが、正確である保証はありません。