1960年代後半 ―
島の面積のほとんどを熱帯雨林に覆われたフィリピン・ミンダナオ島で、文明社会から隔絶されたまま数千年前と同じように生活している原始人が発見されたという一大スクープが報じられた。
(右下の写真:タサダイ族の様子を撮影した当時の写真)

彼らは、わずか26人からなる小さな部族で、自分たちのことをタサダイ(タサディ)と呼んでいた。
彼らは、独自の言語を持ち、木を使って火をおこし、原始時代そのままの石器を使い、ジャングルの奥深くにある洞窟で生活していたのだという。
世界中のメディアがこの世紀の発見に注目した。
アメリカCBSやイギリスBBCが現地に取材陣を送り取材した結果、彼らの部族が原始的な生活を送っているのは事実であるということが確認された。
彼らタサダイ族は、農耕は行わず、カニやおたまじゃくし、ヤムイモなどを食べているといわれ、道具は石斧や穴掘り棒から進歩しておらず、生活様式は旧石器時代そのものであり、ジャングルの中で1万年以上前の生活を送ってきたということだった。
(左の写真:
タサダイ族を撮影した当時の写真)
また、彼らの言語には「武器」や「敵」といった、争いを意味する単語がないことが判明した。そのことから、彼らは「愛の部族」と呼ばれ、人類学上の奇跡であると讃えられた。
またジョン・ナンスの著書『ジェントル・タサディー』の題材としても取り上げられた。
● 発見の経緯 ●
タサダイ族を最初に発見したのは、デファルという地元のハンターで、ジャングルを歩いていて偶然にタサダイ族に遭遇したということだった。
デファルは彼らに金属のナイフを与え、猟で使う方法を教えてやり、彼らから「恩人」と慕われるようになったのだという。
その後、デファルが、タサダイ族の存在を政府の役人であるマニュエル・エリザルデ
Jr に報告し、その報告をもとに政府が調査団を派遣。それによってタサダイ族の存在が確認された。
(左の写真:
タサダイ族の少女を撮影した写真)
● 世界中を感動させた愛の部族 ●
世界中のメディアが、平和的な生活を営むタサダイ族を異口同音に褒め讃えた。
そして世界中の人々が、この争いを知らぬ素朴な愛の部族・タサダイ族のニュースに感動した。
(右の写真:
タサダイ族の生活の様子を撮影した写真)

ジョン・ナンス(フォト・ジャーナリスト)
「タサダイ族は、とてもいじらしく、世話好きで、情愛の深い人々だと思う。私は、私達(の祖先)が、かつてどんな風だったかについて、まったく新しい認識を持った。」
ナショナル・ジオグラフィック誌
編集者
「我々の祖先がタサダイ族のようだったとしたら、人類は私達が考えていたよりずっとましな血筋だということだ。」
そして、タサダイ族発見の衝撃的なニュースから数年後の1974年 ―
フィリピン大統領の命により、タサダイ族の居住区への立入りが禁止され、タサダイ族は国で保護されることが決まった。フィリピン政府のその決定に、欧米の多くの著名人達も賛同し、彼らの保護のために多額の寄付金が寄せられた。
話はとんとん拍子で進み、約190平方kmもの広大な保護区がミンダナオ島に設置された。
● マニュエル・エリザルデ Jr ●
タサダイ族の保護に奔走したのは、当時のフィリピンの環境大臣、マニュエル・エリザルデ
Jr.であった。
彼はタサダイ族を外部の人間の搾取から守るために、彼らの住む洞窟の場所を極秘にし、彼らの居住区への人の往来を完全にシャットアウトした。
タサダイ族を文明に汚染させないためという名目で、エリザルデは完璧ともいえる密閉状態を保った。

たとえば、車や徒歩では決して近づけないように、密林に囲まれた丘の頂上のわずかな土地にヘリコプター発着場を作り、そこからしか出入りできなくするなど、常に細心の注意を払っていた。そんなエリザルデは、タサダイ族から「偉大な男、タサダイの神」と呼ばれ、尊敬されていたといわれている。
(右の写真:
エリザルデが仮説したヘリコプター発着場)
エリザルデは、タサダイ族の保護区が設置された1974年以降、12年間に渡って、その周りを兵士で固めさせ続けていた。エリザルデによって慎重に選ばれた者だけが、保護区に入ってタサダイ族に会うことができるという状態だった。
ところが、フィリピン政府の保護下で静かに生活していたタサダイ族に、一部でこんな噂が囁かれるようになる。
・ ある言語学者が、タサダイ族の言語の中に「植えつけ」「モルタル」「家の屋根」
など、森の洞窟の住人に似つかわしくない単語があるのを発見した。
・ ある人類学者が、調理された米がこっそりと洞窟に運び込まれるのを目撃した。
・ ある研究員が、彼らの一人が隠れてタバコを吸っているのを目撃した。
・ 地元民によると、彼らは服を着て時々市場にやってくる普通の農民であるという。
● 美談の崩壊 ●
1986年、マルコス政権が崩壊 ―
ミンダナオ島はフィリピンからの分離独立運動が激しくなり、厳戒態勢が敷かれた。
以後、タサダイ族保護区への立入りは原則禁止となった。
ところが、マルコス政権崩壊後、無許可で保護区に潜入した二人のジャーナリストがいた。
スイス人ジャーナリストのオズワルド・イテン氏と現地ジャーナリストのジョーイ・ロザノ氏である。
彼らがそこで見たものは、驚愕の光景だった。

彼らが見たタサダイ族は、
洞窟ではなく普通の家に住み、
Tシャツにジーンズを着て、
タバコを吸い、
バギーを乗りこなし、
現代人となんら変わらぬ生活をしていたのだ。
二人は、すぐにアメリカのニュース番組で発表した。
「彼らが石器時代の生活をしていなかったどころの話ではなく、
最初からタサダイ族など存在していなかったのだ。」
このスクープを巡り、アメリカ人類学会は、人類学・歴史・言語などの専門家を集めてシンポジウムを開き、真偽について討論を繰り広げるに至った。
その中でも不審な点が指摘された。
・ 彼らの住む洞窟には生活痕がまったくない
・ わずか26人だけで子孫を繁栄させたことは疑わしく、
付近の農民が演じていたのではないか
一転、「タサダイ族はウソ?!」というニュースが世界中を駆け巡った。
1987年 ―
フィリピン政府は、タサダイ族を巡る一連の騒動に決着をつけるために、4ヶ月にも渡る再調査を行った。結果、フィリピン政府が最終的に出した答えは「タサダイ族は実在する」というものだった。
70年代には大発見といわれ、世紀の一大スクープとして取り上げられ、
80年代には捏造された部族としてやはり一大スクープの的になったタサダイ族。
一体、どちらが本当なのだろうか。
● タサダイ族の反応 ●
真偽を確かめようと、世界中のテレビ局がミンダナオ島に押しかけた。
ABCのクルーは、8人のタサダイ族にインタビューしたが、彼らは自分たちの部族名を聞くと嘲笑し、ナショナル・ジオグラフィック誌や、その他の出版物に掲載された自分たちの裸の写真を見てクスクス笑い、「あれは全部ヤラセだよ」と断言した。
この話は、数年前にもフジテレビの『奇跡体験!アンビリバボー』で取り上げられたが、調査方法が極端に制限されたりしたことなどから疑惑のままになっている部分が多く、最後は『真相は藪の中である』という結びになっていた。
しかし、その後の調査でも、捏造工作が行われていたことは明白なのである。
●洞窟やその周辺は、なぜ残飯ひとつないきれいな状態だったのか?
貝塚などで知られるように、実際の石器時代の集落の跡地からでさえ生活痕が見つかるというのに、数千年前から現在までそこで暮らしているという彼らの洞窟とその周辺からは、それらが一切見つからなかった。
●このような少人数の部族内で、一体どうやって同系交配を避けたのか?
数千年にも渡って他の部族との交渉がないのでは血が濃くなりすぎる。
また、タサダイ族の洞窟は、一番近い村から徒歩3時間の場所にあり、
彼らが食物を捜している間に、一度もこの村の住人と遭遇しなかったというのは不自然である。
● 8つのほとんど知られていない事実 ●
採集狩猟生活者社会や熱帯雨林の人間生態学を専門とする人類学博士のトーマス・ヘッドランド氏は長期に渡ってタサダイ族の調査を行っており、“タサダイ族に関する8つのほとんど知られていない事実”という研究結果を発表している。
ヘッドランド氏が指摘した8つの事実とは以下である。
〔1〕 タサダイ族は、普通に町で売られている衣服を着ている
彼らは、取材の時だけそれらの服を脱いで、「伝統的な」服装をするように頼まれた。
〔2〕 タサダイ族は、他の部族と取り引きをしているに違いない
彼らは真鍮や金属、ガラス玉、鉄のナイフ、ブリキ缶などを持っている。
〔3〕 近隣の部族は、タサダイ族と食料を交換している
近隣の部族は、タサダイ族が狩猟した獲物の肉と自分たちが耕作した食物を交換していた。
〔4〕 南部コタバト多雨林(タサダイ族の居住地)では、彼らの生活を支えるのに必要なデンプンが含まれた食物が採取できない
野生の山芋などのデンプンの養分だけでは、彼らの生活を数千年も支えるのは不十分である。そのため他の部族との農作物の交換などが必要になる。
〔5〕 彼らが採取した食物だけで生活している様子は科学的に観測されていない
当時は、制限された条件下で「彼らの生活を垣間見る」程度の観察しか許されていなかった。そのため、直接の観測は一切されておらず、
科学者たちは「そのようにして生活してきたのだろう」と、単に仮定したにすぎなかった。
〔6〕 タサダイ族が使っていた竹の道具は、耕作された竹で造られていた
彼らが道具に使っていた竹は、太陽を好む種類のもので、熱帯雨林の中では成長することができない種類のものだった。
〔7〕 タサダイ族が使っていたとされる石器は偽物だった
それらはすべて「タサダイ族担当職員」の依頼で、演出として作られたものだった。
〔8〕 タサダイ族の言語
文明と隔絶していたはずの彼らの言語のうち、単語の85%以上がコタバトの近隣部族のものと同じだった。
トーマス・ヘッドランド氏のホームページはこちら→ Thomas N. Headland
長期にわたる研究結果があますところなく伝えられています。
また、ヘッドランド氏が1999年に調査した際のタサダイ族の写真も同ホームページ内のこちらで公開されています。
● 誰がなんのために? ●
では、この信じられない人類学的捏造を組織したのは、一体誰なのか?
その疑惑は、タサダイ族の保護を担当していた環境大臣のエリザルデに向けられた。
そして、何人かのタサダイ族が、エリザルデとの共謀を認めた。そのうち一人の男性が、どのようにしてエリザルデの計画に加わったのかを説明をした。
「エリサルデが、もっと原始人らしく見えるようにと、俺たちを洞窟の中に強制的に住まわせたんだ。エリザルデと出会うまでは、俺たちは普通の農民で、山の反対側にあるあばら屋に住んでいた。

ある日、エリサルデが、俺たちが裸になれば、補助が必要な貧乏人に見えるから、国から補助金がもらえるって話をもってきたんだ。
彼は、俺たちがタサダイ族のふりをしたら、付近の村とのイザコザから守ってくれると言い、演技した分はちゃんと報酬をくれると約束した。
それを聞いて、俺たちは彼に協力することにしたのに、俺たちは前よりもずっと貧乏になっちまった。あいつは嘘をついたんだ。」
エリサルデが私利のためにタサダイ族を裏で操作し続けていたのは明白だった。
このスクープをすっぱ抜いたスイス人ジャーナリストで人類学博士でもあるオズワルド・イテン氏は、「これは、はじめから周到に仕組まれた大規模な詐欺事件である。」と指摘した。
● エマニュエル・エリザルデ
Jr ●
フィリピン政府は、タサダイ族保護のための寄付金を国内外からおよそ3500万ドル(約12億円)も集めており、それらを実際に動かしていたのが、保護活動に熱心だった当時の環境大臣エリザルデであった。(左の写真:エリザルデ)
渦中のエリザルデは、マルコス政権の崩壊前に、すでに中米・コスタリカに逃亡したあとだった。彼は逃亡の際、寄付金の3500万ドルも一緒に持ち去っていた。
(国立博物館のタサダイ族の資料もこの時消失したといわれている)
1988年、フィリピン国内の情勢が安定するとエリザルデは帰国したが、持ち出した金を全部使い果たし、窮迫した状態でドラッグ中毒に陥っていた。
結局、3500万ドルがどうなったかは一切追求されないまま、1997年に死去した。
しかし、20回以上にも渡ってタサダイ族を取材し、彼らのために保護団体を設立したジョン・ナンス氏は、「彼らは実在する」と、イテン氏の意見に真っ向から反対しており、現在でも論争が続いている。
※その後の論争については、こちらのサイトが簡単に説明してくれています。
ちなみに、右の画像は、Robin Hemley著:Invented
Edenという本の表紙だが、この写真をはじめ、タサダイ族を撮影した白黒写真のほとんどは、このジョン・ナンス氏が撮影したものである。
ジョン・ナンス氏が運営するタサダイ族の解説サイト:
http://www.tasaday.com/
「タサダイ族は実在する。」と、フィリピン政府は結論づけたが、詐欺疑惑騒動があった80年代以降は、外国メディアにタサタイ族の取材許可を下ろすことはほとんどなく、また国立博物館に多数展示されていたタサダイ族に関する資料は非公開となっており、彼らが使用していた石器なども見ることができない状態である。
このような状況から『奇跡体験!アンビリバボー』では、「真相は藪の中」とヤンワリ説明していたが、この話は「世紀の詐欺事件」として世界的に有名であり、『ガーディアン紙が選ぶエセ科学ベスト10』でも、堂々の2位に輝いている。

70年代に現代の原始人を発見したヒーローとして一躍有名になったエマニュエル・エリザルデ
Jr は、現在では世紀の詐欺師としてその名を残している。
(社)農林水産技術情報協会様が虫の雑学というコンテンツの中のこちらの記事で、1973年に日本の雑誌でタサダイ族が紹介された時の貴重な資料を公開されています。
当時は世界中でこうやって取り上げられていたということがよく分かりますよ。