表の歴史には決して出てこないこの人物は、世界史のあちらこちらに不思議な逸話を残す「世界史上もっとも謎に包まれた人物」として有名である。
数ヶ国語を操り、弁舌巧みで、バイオリンを完璧に演奏し、画家としての才能もあり、優雅で洗練された物腰で、豪華なダイヤモンドをいくつも身に着け、大勢の召し使いたちを侍らせていたという。
また歴史や医学の知識が豊富な上に、超一級の科学者でもあったといわれている。
「不老不死の超人」、「タイムトラベラー」、「錬金術師」と噂された18世紀の怪人サン・ジェルマン伯爵の伝説は根強く、現在でさえ「彼はまだ生き続けている」という者が数多くいるといわれている。
(※上の画像:
サン・ジェルマン伯爵の肖像画だといわれている絵)
● 超人伝説 ●
様々な年代にヨーロッパ各所に現れたというサン・ジェルマン伯爵。
「不死の超人」と呼ばれる彼が初めて記録に現れるのは、1710年に書かれた作曲家ジャン・フィリップ・ラモーの日記である。
ラモーの記述によると、1710年当時のサン・ジェルマン伯爵は、50歳前後に見えたそうだ。 しかし、それから25年後の1735年にオランダのハーグにいたとされる彼は、25歳前後だったと記録されているという。これらの記述に間違いがないとすれば、彼の年齢は逆行していることになる。
サン・ジェルマン伯爵の年齢の記述には不思議なものが多く、生まれた年も不明であるため、「年を取らない超人」、「不老不死の秘術を知る錬金術師」、「時空を行き来するタイムトラベラー」と噂されている。
このように、オカルトチックに紹介されることが多いサン・ジェルマン伯爵には、実際オカルトチックな逸話や記録が数多く残されている。その代表的なものをまとめてみよう。
※年代または証言者が判明しているものは表に、年代も証言者も定かでないものは
種類別に分類して表の下に箇条書きにしました。
| 年 代 |
目撃者/目撃場所 |
証言/逸話 |
| 1710年 |
作曲家ラモー |
50歳前後に見えた。恐ろしく話題が豊富な人物である。 |
| ジェルジ伯爵夫人 |
ベネチアでサン・ジェルマン伯爵に会った。45歳前後だった。 |
| 1735年 |
オランダのハーグ |
25歳前後だった。 |
| 1743年 |
イギリス |
1745年までイギリスにいた。スパイ容疑で逮捕される。 |
| 1750年
〜
1760年 |
フランス宮廷 |
ルイ15世に謁見。40歳前後に見えた。 |
| 再びジェルジ伯爵夫人 |
パリのポンパドール公爵夫人のパーティーで再び会ったが、全く年をとっていなかった。他人の空似かと思って訊ねると、40年前の会話の内容をピタリと言い当てた。
彼は、「私は変わらないように見えるでしょうが、実は非常に年をとっているのです…と言った。 |
| カサノバ
『回想録』 |
「彼は非常に物知りで、どの国の言葉も知っていた。そして大音楽家であると同時に、大化学者でもあると思えた。
彼は女たちに好かれた。洗練された物腰で、なかなかの美男子でもあり、しかも女たちの肌を美しくするおしろいとかオーデコロンを与えた。それらの物は女たちをこの上なく喜ばせた。彼は、人の度肝をぬくようなことを口にした。ダイヤを溶かして、最も美しい透明度をもつダイヤを1ダースは作ってみせる、などとも語った。また、自分はその気になれば何でもできる、とも言った。
特殊な秘薬のおかげで、自分は何も食べる必要がなく、自分の本当の歳は300歳だと言うにいたっては、なんという厚かましい山師だろうと私は思ったが、不思議と不愉快な気分にはならなかった。何事にも非凡な才能をもった驚くべき男だ。」 |
| 哲学者ヴォルテール |
サン・ジェルマン伯爵に会ったヴォルテールは、「彼はあらゆることを知っている」と感嘆した。 |
| ドイツ |
1755年に突如ウィーンに移り住んだが、なぜか翌1756年には、再びフランスに舞い戻る。 |
| 再びフランス宮廷 |
1756年、ポンパドール夫人の大のお気に入りとなったサン・ジェルマン伯爵は、サロンの寵児といわれる有名人になった。50歳ぐらいに見えた。 |
| 1762年 |
ロシア |
エカテリーナ二世の即位に至るクーデターに加担した。ここでは“ヴェルダン伯爵”という別名で活躍している。 |
| 1774年 |
三たびフランス宮廷 |
新国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットに会うためにフランスに戻ったが、前国王の時とは違い、相手にされなかった。 |
| 1777年 |
ドイツ |
ライプチヒにラゴツィ公という別名で現れ、人里離れた家でオカルトの研究に没頭していた。 |
| 1777年 |
ドイツ |
長年、城の湿った一室に閉じこもった研究生活が災いし、健康を害したらしく、ヘッセンカッセルで死去した。
死因はリューマチと鬱病であった。 |
| 1784年 |
ドイツ |
エッケルフェアデ教会に「サン・ジェルマン伯爵、あるいはヴェルダン伯爵。1784年2月27日死去。3月2日埋葬。その他の事項は不明。一個人として当教会に埋葬」という記録が残されている。 |
| 1785年 |
ヨーロッパで出版された雑誌 |
「彼はまだ生きていて、やがて戻ってくる」という記事が書かれた雑誌が出版された。 |
| サン・ジェルマンの友人 |
「ヒマラヤで隠遁する」と伝えに来た。 |
| フランス |
フリーメイソンの会合に出席しているのが目撃された。 |
| 1793年 |
アデ |
死んだはずの伯爵がフランス革命を予言。マリー・アントワネットに警告した。(1836年に同夫人が書いた『回想録』より) |
| 1821年 |
ステファニー・フェリシテ |
サン・ジェルマン伯爵と会った。 |
| 1972年 |
リシャール・シャンフレー |
フランス人のシャンフレーという若者がTV出演し、キャンプ用ストープで鉛を金に変え見せ、「自分はサン・ジェルマン伯爵だ」と名乗った。 |
かk〔 年齢に関する逸話 〕
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サンジェルマン伯爵は、自分の年齢を300歳とも2000歳とも4000歳とも言っていた。
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サン・ジェルマン伯爵は昼食会でも晩餐会でも食事をしなかった。不思議に思い本人に訊ねると、「私は不老不死なので、霊薬を口にする以外は食事を必要としないのです。」と言った。
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紀元前の人物として知られるソロモン王やシバの女王とも面識があると言っていた。
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サン・ジェルマン伯爵の使用人も「私がお仕えしてからまだ500年しか経っていません。」と言っていた。
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中世のイギリス国王であるリチャード獅子王のことを親しげに語り、十字軍で一緒に戦った“思い出話”をなつかそうに語っていた。
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「バビロニアにいたころには、ネブカドネザル大王が建設したバビロンの都にもよく行きましたよ。実際、あれは壮麗この上ない都だった…。」と、当時を振り返り溜息をついていた。
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単に100歳を超える長寿者だった。
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秘密結社の一員であった彼は、時を越えて生きる秘伝を伝授されていた。
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「私は今から200年以上も前に、スペイン国王フェルディナンド5世の大臣をしたこともあるんだよ。」と言い、信じようとしない相手には、当時の極秘の公文書を取り出して見せた。
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「イエスにも会ったことがあるが、イエスが水をワインに変えた時は、みんなして驚いたものだよ。それが“カナの婚礼”の奇跡として後世に知られるようになるとはねぇ…。」と、言っていた。
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〔 身元に関する逸話 〕
〔 仕事に関する逸話 〕
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ルイ15世は、シャンボール城内にサン・ジェルマン伯爵専用の錬金術実験室を用意させて、政治の秘密工作の研究に従事させていた。
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莫大な財産を持っていた。サン・ジェルマン伯爵が所有する貴金属や宝石類の数の多さと質の高さにおいては、ヴェルサイユ宮殿にまで噂が広まった。
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彼の財力が一体どこからきているかは、誰も知ることができなかった。
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東方に旅行に出かけることが多かった。
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薔薇十字団に加入している。
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実はプロイセンのフリードリヒ大王に仕えていた秘密外交官、スパイであった。
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〔 技術に関する逸話 〕
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ルイ15世に見事なダイヤモンドを差し出した彼は、「いったいどこでこんな素晴らしいものを?」と聞かれ、「買ったのではありません。それは私が作ったのです。」と答えた。
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ルイ15世からの依頼で、ダイヤモンドの傷を取った。
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絹を染める染色技術や、皮をなめして驚くほど柔らかくする皮革技術など、18世紀にはまだなかったはずの様々な技術を身につけていた。
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超人的な語学力の持ち主で、フランス語、英語はもちろん、スペイン語、ロシア語、ドイツ語、ヘブライ語、サンスクリット語、アラビア語、ペルシャ語、中国語まで話せた。
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画家のラトゥールは、サン・ジェルマンが使っている独特な絵の具の製法を教えてくれと何度も頼んだが、とうとう最後まで教えてもらえなかった。
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亜麻糸を使って絹のような布を織る工場をベニスにもっており、その技術は彼が開発したもので、100人ほどの労働者が工場の仕事に従事していると言っていた。
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サン・ジェルマン伯爵の実験室に招かれたカサノヴァは、盤の上に銅貨を一つ置くように言われたので置いてみると、突然パッと炎があがり、それがおさまると銅貨は金に変わっていた。
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彼は右手と左手が同じように使えた。両方の手で別々に文字を書いて重ねると、ピッタリ合った。
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サン・ジェルマン伯爵は、「自分はかつてエジプトのピラミッドの中で修行し、ヒマラヤに行って、全てを知っている聖者たちに会って多くのことを学んだ」と語っていた。
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サン・ジェルマン伯爵の友人は、「彼は扉を通らないで自室や友人の部屋に姿を現したり、出ていったりすることができた。(姿を現したり消したりしているように見えた)」と証言した。
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〔 正体に関する逸話 〕
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サン・ジェルマン伯爵は、賢者の石をもつ錬金術師である。
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錬金術師として知られるカリオストロ伯爵の師匠である。
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ナポレオンはエジプト遠征の前とエルバ島へ流される数ヶ月前の2回「『チュイルリー宮殿の赤い服の男』に会い、助言をうけた」と言われているが、この『赤い服の男』が、サン・ジェルマン伯爵だった。
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人から何かを尋ねられる前に、相手の質問を見ぬく力をもっていた。また、彼は遠い街や国で自分が必要とされている時には、テレパシーでそれを感知することができた。早い話が超能力者であった。
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1747年〜1756年の間に、少なくとも2年間はインドへ旅したという彼と「現地で会ったことがある」と証言しているクリーヴという人物は、「彼はインドで秘教的なすばらしい知識を得た」とも証言している。
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サン・ジェルマン伯爵は、人類を導くイニシエート(秘儀参入者)である。
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プロイセンのフリードリヒ大王は、彼の事を「決して死ぬことのない男」と言っていた。
〔 死後の逸話 〕
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フランス革命前後のフランス国内に現れたサン・ジェルマン伯爵は、王家の危機を予言し、マリー・アントワネットに手紙で警告したが、聞き入れられなかった。
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ルイ16世夫妻が捕らえられていた頃、当時侍女だったアデマール夫人は、サン・ジェルマン伯爵の使いだと名乗る者にある教会に連れていかれ、サン・ジェルマン伯爵を目撃した。
彼はアデマール夫人に、「私は永遠に時を旅しているので未来のことが分かるのです。私はちょうど今、日本から帰ったばかりですが、国王夫妻は私の忠告を聞こうとしなかったようですね。もうあの2人はおしまいですが、それは私には関係のないことです。」と、言った後、忽然と姿を消した。
『回想録』の中で、このサン・ジェルマン伯爵との出会いを書いているアデマール夫人は、「サン・ジェルマン伯爵には合計5回会っているが、いつも言葉では語れない驚きがあった」と語っている。
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マリー・アントワネット処刑の当日、刑場でサン・ジェルマン伯爵を見た者がいる。
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第二次大戦中、当時のイギリスのチャーチル首相は、サン・ジェルマン伯爵に会って、助言を受けた。
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1784年以降に現れたのは、サン・ジェルマン伯爵の名を語った偽者である。
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1822年、「これからインドに行く。」というサン・ジェルマン伯爵に会ったという目撃談がある。
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東洋の秘教の原理に完全に精通していて、瞑想と集中を実践していた。数回にわたってヒンドゥー教徒のような姿勢で座禅を組んでいたこともある。ヒマラヤ山脈の中心に隠遁所をもっていて、時折、世俗を離れてそこで暮らしている。修行のためにインドに85年間とどまっていた。
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1939年の記録では、アメリカの飛行士が、「チベットでサン・ジェルマンと名乗る“中世の頃の身なり”をしたヨーロッパ人の僧侶と会った」と、主張している。
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