この『ヘッジスの水晶髑髏』については、実は、1944年にヘッジスがイギリスの有名なオークション“サザビーズ”で美術商から400ポンドで購入したものであることが近年明らかにされている。大英博物館が行った調査の結果、これはドイツで過去150年以内に作られたものであることが結論づけられたのだ。
それに加えてヘッジスは、確かに1926年まではルバアンタン遺跡の発掘に参加していることが調査で分かっているが、1927年にはイギリスに帰国していてルバアンタン遺跡の発掘には参加していなかった。しかも、直接の発見者だといわれる養女のアンナに関しては、ルバアンタンにいた形跡すら見つからないという。
また、同遺跡の発掘当時の写真は数多く残っているのだが、『水晶髑髏』を写したものは、その中には一枚もないのだ。
遺跡発掘メンバーだったトーマス・ガン博士は、1931年に『マヤの歴史』という本を出版したが、その中にも『水晶髑髏』についての記述は一切出てこないのだという。
よって、『ヘッジスの水晶髑髏』は、単にオークションで購入したものを「遺跡で発掘した」と発表した、ホラ吹きヘッジス親子の捏造品だったというのが、近年では定説になっている。 そんなわけで、『ヘッジスの水晶髑髏』とやらについては、マヤ文明とは何の関わりもない。
この水晶髑髏は、私の子供時代から「マヤだ」「マヤだ」と言われておった品である。
まったく、人をおちょくっとんのか!責任者出て来い!!と言いたくなるほどムカっ腹の立つ話だが、調査によって、また一つの捏造品が供養されて良かったと思う。迷わず成仏しろよ。 合掌。
以下は、大英博物館に展示されていた「中央メキシコ/アステカ文明産・水晶の髑髏」の、ごく最近の調査結果である。
2005年1月8日の記事からの抜粋。
『このほどイギリスの大英博物館に展示されていた「水晶の髑髏(ドクロ)」の調査が行われ、結果、ほぼ間違いなく捏造品であることが明らかになったとのこと。調査された「水晶の髑髏」は、これまで中央メキシコに栄えたアステカ文明が作り上げた工芸品の一つとされ、1897年から大英博物館に収蔵されたものである。しかし今回英ウェールズ大学教授、大英博物館科学調査部長イアン・フリーストーン博士が調査を行った結果、髑髏はおそらく19世紀、ブラジルの水晶を使ってヨーロッパで作られたものである可能性が非常に高いという結論に至ったという。 〜(中略)〜他のアステカ文明の工芸品と比較すると加工がシャープ過ぎることを指摘している。』
『〜(中略)〜 しかしまた、博士によれば、これらの理由から髑髏は19世紀にヨーロッパ作られた可能性が極めて高いとしながらも、完全な捏造であると断定することは難しいと話している。 「(略) 今回の調査をもって捏造であることが確定したとは言い切れません。この先も議論は続いていくことでしょう。」』
『この水晶の髑髏は高さは21cm、アステカ文明における死や死後の世界を表すシンボルと見なされてきた。
最初は19世紀、メキシコに渡ったスペイン人が持ち帰ったものと言われ、その後フランス人ユージーン・ボブマンなる人物から一度ニューヨークの宝石商ティファニーの手に渡り、それから大英博物館へと売られたものである。現在、フランスはパリの人類学博物館に展示されている水晶の髑髏もこのフランス人男性が売りつけたものであるとされている。』
『またその真偽を巡って、1950年には最初の調査が行われているが、回転式の道具が用いられた形跡はその時に既に指摘されていたという。しかし博士は、こうした結果にも関わらず、これらが捏造であると断定することは難しいと話している。「これはもはや、人々の死や死後の世界に対する信念の問題です。そこにはミステリアスな魅力があり、人はそれを好むものです。もしこの髑髏を光に当てて見れば、そこには確かに神秘的な何かがあります。そのルーツがいかなるものであっても、これを見た人が何かしら感銘を受けることに変わりはないでしょう。」博士はそう語っている。』
・・・ 博士、いくらなんでもそれは論点ズレすぎ。