鉄仮面の幽閉生活が始まった1669年の手紙
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ルヴォワからサン・マールへ >
「勅命により、ユスターシュ・ドージェという者をピネロル監獄に護送する。厳重に隔離の上、他者に自分の身の上を語らせないように。事前連絡したのは、この囚人を収容する独房を用意する必要があるからである。」
※ この時点でユスターシュ・ドージェという人物はすでに逮捕され、どこかに囚われているようだ。しかし勅命(=王の命令)により護送される?囚人の護送ごときにいちいち勅を出すわけがない。尋常でない囚人なのだ。
この手紙で陸軍大臣ルヴォワが指示した内容はこのようなものだった。
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どんなことがあろうと、この囚人が語ろうとする言葉には耳をかしてはならない。また本人にも余計なことを話したら、その時は死刑だと厳重に言い渡しておくこと。
※ ユスターシュ・ドージェという男は、どうやら重大な極秘事項を握る人物らしい。
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この囚人への食事は囚人専用のメニューではなく、特別の食事を用意すること。そして、1日分を1回、看守長である貴殿の手で囚人の房まで運ぶこと。
※ 特別メニューを用意?しかも、わざわざ看守長に運ばせるなど異例のこと。
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明かりとり用の窓は誰も近づけない方向に設けること。
扉は監視兵らに何も聞こえないよう配慮した多重扉にすること。
※ この時、ピネロル監獄にある独房6室のうち5室は空いていた。
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貴殿の指示する作業に従事し、囚人の日常生活に必要な調度類を準備するよう、他の者にも命令済みである。またその代金や囚人の食費など、一切の費用はすべてこちらで清算する。
※ この囚人用に別に予算が組んであるのが伺える。
「なんでも好きなものを与えてやれ。金なら気にするな」と言ってるみたい。
ちなみに、ルヴォワはこの囚人について、「一介の下僕である」と語っていたらしいが、この内容からは、下僕どころか、むしろ「一介の貴族」よりもずううっと高い身分を想像させる。
そう、このユスターシュ・ドージェこそ、現在ダントツで『鉄仮面』の男だと目されている人物である。しかも、この〔ユスターシュ説〕には、かなり信頼出来る根拠があるのだ。
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逮捕年度が『鉄仮面』と同じ1669年。
その時の異常な警戒態勢は前述の手紙の通り。
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サン・マールが転任するたび、つねに『鉄仮面』も一緒に移送されたため、
『鉄仮面』は監獄を3度も移されているのだが、なんとサン・マールは、
ユスターシュが1669年6月(ピネロル監獄)に来る
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『鉄仮面』が1687年(サント・マルグリット島)に移される
↓
『鉄仮面』がバスティーユに移送される
ここまでの29年間ずーっと、ほぼ毎週、ルヴォワに報告書を送っていたのだ。
ユスターシュ=『鉄仮面』が有力視されるのは当然だという気がしてくる。
ところで、報告書提出の頻度から垣間見える、この『報告』への異常な執着ぶりは何だろう。直接の命令はルヴォワから出されていても、報告を欲しがったのは、もちろんルヴォワのバックにいる国王ルイ14世だろう。
これらの報告書は、29年間つねにルイ14世がユスターシュを監視していたことを示しているといわれている。
※ おそらくは数千通は交わされたと思われる手紙は、ルイ14世の命令で大半が処分されてしまったようだが、現在でも約100通ほどが残っている。
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さて、1687年、サン・マールがサント・マルグリット島に転任された年、『鉄仮面』も移されることになったが、この移送時の警戒態勢も異常だった。
サント・マルグリット島へ移送した1687年の手紙
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サン・マールからルヴォワへ >
「囚人を運ぶ時、一番安全な乗り物は、蝋引きの布でまわりを包んだカゴではないかと思います。囚人が息苦しくならないように中の空気の通りをよくしなければいけませんが、これだと誰も外から中を見ることはできないし、中の囚人に話しかけることもできません。」
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上記の1687年の移送時、4〜5名の兵士が護衛もついたが、カゴの「運送人」8人は、大金を支払い、わざわざイタリアのトリノで雇い入れて呼び寄せている。
※ これについては、囚人が話しかけた時のために、わざわざフランス語を解さないイタリア人の人足を雇ったのではないかといわれている。
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サント・マルグリット島の『鉄仮面』用の独房は、当時、7200リーブル(1リーブル=約1万円)も費やして造られたという。現在も残るこの贅沢な房は、カンヌ湾が見渡せる2m四方の窓があり、4.5mもの高さの天井に、総面積が約30u
もあるという。
しかし悲しいかな、やはり独房なのである。
警戒は厳重で、窓には縦横に鉄格子があり、扉は三重扉になっている上に鋲が打たれているのだそうだ。 ||Φ|(|゚|∀|゚|)|Φ||
ドヒー!
1698年、サン・マールは看守としては最高の地位に当たるバスティーユ牢獄の司令官に任命される。田舎の看守長がバスティーユの司令官に任命されるなんてことは異例中の異例で、ほとんど異常なのに、サン・マールは、自分の副官はもちろん身分の低い牢番まで全員残らず連れてバスティーユに転任してきたのだ。
こういうのを本当に「有り得ない」というのだろう。それほど当時としては異常な事だった。
※ リンク引用元: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1698年7月19日付
鉄仮面に関する最後の往復書簡
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ルヴォワからサン・マールへ>
「陛下は貴殿がバスティーユ牢獄で職務に励むことを命じておられる。
バスティーユに赴く際には、貴殿の『古い囚人』を伴うように。
ただし、この囚人が人目にふれたり外部の者に声をかけたりせぬよう、細心の注意をはらうこと。
転任に先立ち、囚人の到着後ただちに収容できるよう、バスティーユ牢獄の国王代理官に監房を用意しておくことを手紙にて要請しておくこと。」
※ ここまで読んできた人には、すでにお馴染みの『鉄仮面』隠しをしつこく指示するお達しである。最初の時から29年経過しても全く衰えることなく厳戒態勢だったのが伺える。
こうして往復書簡から多くの事実が浮かび上がったわけだが、肝心の『鉄仮面』の正体については決定的な決め手となるものがなく、依然不明のままだった。
「そう。ユスターシュって人が怪しいわけなのね〜。ふ〜ん。
で、そのユスターシュって、誰?どこから来た何者なの?」
・・・こういった肝心な部分の手がかりが全然なかったのだ。
ところが、それからずうううう〜っと後になって、フランスのある歴史家が、国立図書館に保存されていた古文書をたどって、ついにルイ14世の身近にユスターシュと同じドージェという姓を持つ男がいたことを突きとめた!
これはものすごい発見になった!
このドージェは、一族の姓はたしかにドージェなのだが、地方に所有していた領地の名前からとって、カヴォワと呼ばれていたため、それまで見落とされてきたのだという。
その男のフル・ネームは、フランソワ・ドージェ・ド・カヴォワという。
フランソワは宰相リシュリューの銃士隊の隊長で、4人の息子を持つ父親だった。
このフランソワ夫妻がリシュリューに取り入って宮廷へ出入りしていたため、息子たちも宮廷に行くことがあり、幼いルイ14世と遊んだ仲であったという。
このフランソワの4番目の息子ルイは、宮内長官として出世の道を順調に歩んでいたようだ。ルイの兄にあたる3番目の息子ユスターシュは、ルイ14世の親衛隊の士官に名をつらねていた。それを頼りに調べ進むうちに、このユスターシュが、大変な問題児だったことが分かってきた。
ユスターシュは、しょっちゅう喧嘩や決闘などの騒動を起こしており、家族も手を焼いていたようだ。23歳の頃には(当時は厳罰の対象だった)黒ミサにも参加していたこの放蕩息子は、次々と巨額の借金を作り、一家を破産の一歩手前に追いやったこともあるという。
そして挙句の果てには、大酒を飲んだ上、王宮の庭で流血騒ぎを起こしてしまい、それを機にとうとう親衛隊の士官をクビになり、宮廷への出入りも禁止となっていた。
その後、ユスターシュはパリで毒殺事件に関わり、ダンケルクで逮捕されるなど、放蕩ぶりはますますエスカレートしていった。やがて借金まみれになっていったようだ。
ユスターシュの記録を調べると、出生記録はあるが死亡記録はなく、彼の消息は1668年以降プッツリと途絶えてしまっており、行方不明になっていたことが判明したのだ。
さて、そこから歴史研究家たちの推理が始まった。
彼らの考えはこうである。
「ユスターシュはとうとう一文無しになり、家族からも見放されてしまった。そこで、あることでルイ14世をゆすって金を手に入れようとしたが、捕らえられて、幽閉されてしまった」
その、ルイ14世のゆすりに使ったネタこそが、『鉄仮面』に関する重大な秘密だったのだ。
― ユスターシュは、ルイ14世の腹違いの兄弟だったのである。
しかしこのあとが問題なのだ。ここまでなら、今まで仮説として唱えられてきた「異母兄弟説」に歴史的事実が加わったという過程を説明しただけになってしまう。(スゴイ発見には違いないが)
そこで、今までに発見された情報を再検証した上で、1989年に出版された『最新説』を紹介したい。
これが一番書きたかったところである。やっとここまできた。
これはかなり面白くて、同時にゾッとするような怖い話だと思う。
歴史の一大ミステリーは、こうでなくっちゃいけないというかんじ。
【 鉄仮面の超新説 】
ルイ13世は女嫌いの上に不能だったというのは有名な話だが、性に対する関心も、これっぽっちもなかったらしく、「余は恋愛なぞしたくない!!」と、ことあるごとに言っていたとか。
そんなルイ13世が、なによりも嫌っていたのはスペイン人だった。強烈な偏見を持っていた。そのためスペインから嫁いできた王妃アンヌには嫌悪感を持っており、2人は『宮殿内別居』をしていた。
それでもやはり一国の王としては、なんとしても世継ぎを誕生させなくてはならなかった。
そうでなければ、ルイ13世は弟のガストンに王位継承権を譲ることになるが、ルイ13世としは、なんとしてもそれだけは避けたかったに違いない。
なぜなら、もしガストンが王位を継承すれば、王妃アンヌは現在の地位を追われることになり、宰相のリシュリューやマザランも命を奪われることになるだろう。事実、2人はこれまでにもガストンの差し向けた刺客に何度か襲われていたのだ。(※ 左の画像は宰相マザランの肖像画)
ルイ13世は悩んだが、やはりガストンに王位を譲るのだけは避けなければならないと思い、ついにその気持ちをリシュリューに相談する。
悩みを打ち明けられたリシュリューも、国王と全く同じ気持ちだった。
そこで何とか方法を考えようと画策したところ、ひとつのプランにたどり着いた。
それは、父親の代理を立て、王妃に世継ぎを出産させようというものだった。
種付け役には、心から忠実で、社会的に認められており、王と王妃の双方と知り合いで、王位を要求したりしない者でなければならない。
そう考えたリシュリューは、条件に当てはまる男を思い出した。
銃士隊隊長のフランソワ・ドージェ・ド・カヴォワなら、王とリシュリューのためなら何でもやってきた男だ。申し分ない。ルイ13世も王妃アンヌもカヴォワ夫妻をよく知っており、信用できる人間であることも承知していた。
しかし、その誤魔化しがきくとしても、実際問題、事はかなり深刻だった。フランス王室の血は、ルイ1人を通して伝えられるもので、アンヌはフランス王家と血縁がない。
(仮に血縁があったとしても、女側の血筋では正統とは認められなかった。ミトコンドリアが発見されてれば…)
彼らが内密に王位継承権など全然ない世継ぎを作ってしまえば、フランス王家の血は、彼らの手で永久に葬り去られることになるのだ。
● 結
論 ●
以上の説をまとめた結論はこうだ。
ルイ14世はフランス国王の血を引いていない嫡子であることを
ネタにゆすられていたのではないか?
それが自分(王家)と血縁のある者であったため
殺さずに幽閉していたのではないか?
そう、この説は同時に、フランス王家の血はここで絶えていたと推測しているのだ。
肖像画を見てもわかるように、たしかにルイ14世は、父親の13世に全く似ることなく成長している。
(※ 左上の画像=ルイ14世/左下の画像=ルイ13世)
それに、ルイ14世は、父親の言うことは聞こうとしなかったらしいが、母親アンヌとマザランへには相当なついていたようだ。
子供時代には陽気で社交的だったルイ14世は、成人になって宰相のマザランが死去した時から、一転して人が変わったという。

「尊大な態度」、「目立てばいいという振る舞い」、「秘密主義で固めた絶対君主」という、現在よく知られているルイ14世の特徴は、実はその頃から出てきたものらしい。
ルイ14世は、自分をゆする者が現れた時、すぐに信じたのだろうか。そう言われて、なにか思い当たるふしでもあったのだろうか。
ルイ14世は、子供時代とはうってかわって、近い関係の大臣たち(ルヴォワを含む数名)さえも信用しようとはしなかったという。なにかを境に、他人に対して根深い猜疑心を抱く人間に変わってしまったのだ。
一体何が彼を人間不信の気難しい人間に変えてしまったのだろう・・・?
現存するユスターシュの弟の肖像画は、
たしかに気味が悪いほどルイ14世に生き写しです。
鉄・仮・面―歴史に封印された男
↑この本の巻頭に、ルイ14世と(鉄仮面と目される)ユスターシュの弟ルイ・カヴォワの
肖像画が載ってます。今のところ(探しまくりましたが)ネット上にはありませんでした。
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