1847年6月
フランクリン隊長は心労から倒れた。そしてそのまま回復することなく、あっけなくこの世を去った。
エレブス号後方のマストにはイギリスの半旗が掲げられた。
やがて3度目の冬を迎えようとしていたが、船は一年前と同じ場所で氷に閉じ込められたまま、一歩も動けない状態だった。それまでの間に、士官9人と隊員11人、計20人がフランクリン隊長を追うように相次いでこの世を去った。
3度目の冬を過ごす間に、もっと多くの死者がでた。それでも、105人の隊員が4年目の春を迎えることができた。
しかしそれは、かろうじて生きているというだけで、大半の者が病気か瀕死の状態にあった。
全員が極度に衰弱していたため、このままじっとしていれば全滅するのは時間の問題だった。いくら待ったところで、救援が来てくれる望みはなかった。
わずかに残された生きる望みは、この船を捨て、自力で氷原を渡り、ここからわずか25km先のキング・ウィリアム島に辿り着くことだった。
隊員たちは全員、その意見に賛同した。
体力が弱って起き上がれなくなる前に、そのプランに賭けてみようということになったのだ。
1848年4月22日
隊員たちは、三隻あった捕鯨ボートに可能な限り食糧を積み込み、ボートのへさきにソリを結びつけ、エレブス号とテラー号をあとしにした。彼らは三隻の捕鯨ボートを三チームに分かれて引いていたが、重すぎるソリはジリジリとゆっくり氷原を進むことしかできなかった。
船を出発してからやっと3日目に、エレブス号とテラー号の姿が見えなくなった。
それほどノロノロとしたスピードでしか進めなかったのだ。

こんなことでは、キング・ウィリアム島に辿り着くのに一体何日かかるか分からなかった。そこで重いソリを軽くするため、彼らがエスキモーやインディアンとの交換用に持ってきた品物をみんな捨てた。おかげでソリは随分軽くなり、その分スピードも出た。
しかし、そこから少し行ったところで士官のジョン・アーヴィング中尉が倒れ、その後、何人かの兵士が続けて倒れた。
それは、ソリを引く人員が減ったことを意味していた。
そこで彼らは、仕方なく、食糧を積んだままの捕鯨ボート一隻をソリから外して捨てた。
彼らにはもう、それらをソリで引いて持って行くだけの力がなかったのだ。
これで捕鯨ボートは二隻になり、二チームになった。
そうして少し進んだが、そこで問題が起こった。
途中で隊員たちの意見が真っ二つに分かれたのだ。
A. 船に引き返す
B. このまま捕鯨ボートを引いて目的地に辿り着く
どちらにも希望はなかった。この二つは結局、どちらも死に繋がる絶望の選択であった。
● 船に引き返したAチーム ●
彼らがその後どうなったのかについては、この時点ではほとんど何も分かっていない。
● 目的地を目指したBチーム ●
彼らは弱った身体に鞭打って、重いソリを引きながらどこまでも前進を続けた。
しかし日が経つにつれて、仲間は次々と倒れていった。
それでも誰も埋葬しようとはしなかったようだ。これらの死者は、のちに白骨死体となって発見されたが、どの遺体もうつぶせになって倒れていた。倒れた者がいても振り返らず、彼らは一心に進んだのだ。歩くだけで精一杯の彼らには、おそらく埋葬するようなエネルギーは残されていなかったのだろう。
こうしてソリを引いて前進する者は、一人、また一人と、しだいに減っていった。

7月になって氷が溶け始めた。この時点で生き残っていた者は、海を渡り大陸に辿り着いたものと思われる。なぜなら、のちに“死の湾”と名付けられた入り江から、彼らがソリで引いていった捕鯨ボートが発見されたからだ。
大陸沿岸とボートの中からも、いくつかの人骨が発見された。
彼らのルートは氷原を渡り切り、キング・ウィリアム島に到着後、さらにカナダのバック川へ向かい数百キロを歩くというものだったようだ。しかしその途中で一人ずつ倒れ、ついに誰一人として目的地に到達することはできなかった。
フランクリン隊遭難の足取りを追って、5年に渡り綿密に調べ上げたハドソン湾商会のレイ博士は、次のように述べている。
「大分部の死体は、腕や足が切断されており、さらにそばにあった鍋の中身を判断すると、彼らが想像を絶するような極度の飢餓状態に追い込まれ、生き残る手段として、凍死した仲間の肉を食べたことは、ほぼ間違いない」
夫の帰りを待ち続けていたフランクリン夫人は、このような調査結果だけでは納得できなかった。せめて夫の探検隊の最期がどうなったのかを知りたいと思った。
夫人は家を売り、所持品を売り払い、知人を訪ね歩いて借金を頼んだ。それらで得た金を基金として、フランクリン隊の最期をつきとめるために、捜索隊を編成した。
1857年7月1日
捜索隊の船、フォックス号が28ヶ月分の食糧を積んで出発した。フランクリン隊が出発してから12年目に入っていた。

1859年4月
フォックス号でイギリスを出た捜索隊は、出発から2年目にして、やっとカナダ・バック川のそば、隊員たちの遺体が発見された地点に到着した。
彼ら捜索隊は、そこから逆のルートを辿る捜索を開始した。
途中、エスキモーに出会った。
彼らの小屋から、フランクリン卿の頭文字が彫られた銀のスプーンやフォークなどが発見された。
そこからは、少し進むたびに人間の骨が次々に発見された。
それはまさしく死の行進を物語っており、人骨の道しるべは延々と続いた。
1859年5月30日
捜索隊は、雪に埋もれた捕鯨ボートを発見した。
船に引き返そうとした彼らは、結局、船まで辿り着けなかったようだ。
ボートの中には二つの遺体がうずくまっていた。フランクリン隊最期の隊員は、ここで息を引き取ったのだ。それを確認した時、捜索隊の仕事もまた終わりを迎えた。
ボートの遺体のそばには、衣類やチョコレート、聖書などが転がっていた。
捜索隊はボートの中の遺品を拾い集め、船を停泊している地点に戻った。
1859年9月21日、彼らはイギリスに帰還した。
フランクリン隊が出発してから、実に14年目のことであった。
フランクリン隊が目指した北西航路の発見は、それからおよそ60年後、ノルウェーの極地探検家ロアルド・アムンゼンによって初めて、しかも完全遂行された。
< 参考書籍 > アンビリーバブル物語12