神の十戒の復活を求める運動

信者たちを待っていた恐るべき終末とは?衝撃の事件


                

「神の十戒の復活を求める運動」(Movement for the Restoration of the Ten Commandments of God)は、アフリカ東部のウガンダに本部を置いていた新興宗教集団である。

ウガンダ人の元カトリック神父であるジョゼフ・キブウェテレがこの新興宗教を作ったのは、1989年ごろだったという。カトリック神父であったジョゼフが自ら新興宗教の教祖となった経緯は、彼が、「キリストと聖母マリアから啓示を受けた」と主張したことに端を発している。彼はその発言が元でカトリック教会から破門され、その後、自らを教祖として、「神の十戒の復活を求める運動」を作り、信者を募り始めたのだという。

彼は、「『1999年末に大災害が起きて人類の大半が死滅していまいます。しかしその後に新しい苦しみのない世界が始まるでしょう』と、聖母マリアから啓示を受けた」と言い、終末論を人々に説いて回った。

元来、ウガンダ国民の60%以上はキリスト教徒であり、モーゼの十戒や聖母マリアの名前にも馴染みがあったため、彼の説教にも理解を示す人が多かったという。教団本部はウガンダ南西部の町カヌングの郊外に建てられた。

順調に信者を獲得していった教団は、1990年代後半には、数千人の信者を抱えるまでに成長していたといわれる。しかし報告されている信者の数については未だに曖昧で、1000〜5000人と開きのある数字となっており、詳細な信者数は分かっていないという。


「神の十戒の復活を求める運動」の信者たちの生活には厳格な戒律があった。

 入信の際には、持てる財産すべてを教団に寄進しなければならない

 「この世の終わりが近づいている」ので、子どもを産んではいけない

● 上記の理由から男女間の性関係は夫婦であっても禁ずる

 信者同士、または周辺の村の人々に何かを伝える時には、会話ではなく手話を使うこと

 

上記のうちもっとも奇異に感じられるのは、4つ目の「会話をしてはならない」というものだろう。

これについては、教団幹部から周辺の住民にこんな説明がされていたという。

    

「人間の会話には、知らず知らずのうちに不可避的に嘘が混じってしまうので、『嘘をついてはならない』という十戒の教えに反してしまうため、それらの過ちを犯さないよう、会話をしないで手話を使うのです」

それでもやはり、信者たちが一切会話をしないのは、なんとなく異様な感じがしたと近隣の人々は語る。
信者たちの声を聞くことがあるとしたら、それは祈りと聖歌を歌う声だけだった。彼らはいつも大きな声で祈りを唱えていたので、それがまた周辺の村人たちには異様な気持ちを抱かせたが、それ以外の点では、信者たちは全員礼儀正しく、もの静かで害のない集団だったという。

教団敷地内には、パイナップル、サトウキビ、ハーブなどの農園、養鶏場やパン工場までがあり、信者らが作ったものを近隣の地域に販売して収益を得ていた。信者たちは皆、真面目によく働くと、周辺の村人の間でも評判であった。しかし2000年に入ってからというもの、どうも教会内に何か異変が起こっているのを感じていたという。


「1999年の大晦日に人類の大部分が死ぬ」という教祖の預言は
見事にハズレた。

2000年に入ってからというもの、信者の中には預言の信憑性に疑問を抱き、脱退を求める者が出てきた。さらに脱退を希望する者からは、入信の際に寄付した財産の返還を求める声もあがっていた。


そこで教祖は、「人類を襲う大惨事は1999年の大晦日ではなく、2000年中に起きる」と、預言をリニューアル。信者たちに発表した。そして、近々訪れるであろう裁きの日に備えるためという名目で新教会の建設を開始した。信者たちには、「この新教会は、大災害が迫った時、“ノアの箱舟”の役目を果たすであろう」と説明された。

「神様は、外の世界に住む悪い人々を抹殺するために大洪水を引き起こすが、善良なる人々は、この教会の建物が守ってくれる。すなわち新教会は、我々が生き残るため“ノアの箱舟”となるだろう」

こうして建設された新教会は、2000年3月18日に完成式典を行う予定になっていた。そこで、完成式典当日に合わせて全国から多くの信者が呼び集められた。いよいよ裁きが下るとの「予言」を聞いて、信者たちは家族を引き連れて教団本部に集まってきた。そうして集まってきた信者数は500人以上にも及ぶという。

近隣の村人や当局に対して、教会側からは、「新教会の完成式典がある」という説明がされており、3月18日の式典当日には、政府関係者も招待されていた。 


ところが、式典前日の2000年3月17日に大惨事が起こる。

3月17日の朝、教祖は教団敷地内の丘の上に信者たちを集め、説教を行った。

その後、信者たち全員が新教会に入るが、直後に大爆発が起こり、教会の中にいた信者全員が焼死する事態が起こったのだ。

確認された遺体の数は330人だが、多くの遺体は原型を留めておらず、見分けられないほど炭化してしまっていた。そのため総死亡者数は、500人前後に及ぶのではないかとみられた。

当初、集団自殺と思われていたこの事件は、集団自殺で900人を超える死亡者を出した人民寺院事件に次ぐ、“狂信的カルト教団が引き起こした悲劇”として報道された。

しかし発生から数日経過すると、状況は一変した。

信者たちは自ら死を選んだのではなく、実は、教祖にだまされたあげく、死に追いやられたという可能性が出てきたのだ。


教祖が事件当日の朝、丘の上でどんな説教をしたのか、信者全員が死んでしまったので明白ではないが、その後の信者たちの行動から見て、このようなものであったと思われる。

 教祖は丘の上で、「裁きの日がやって来た。我々は今から新教会の中で、人類の災いが過ぎ去るのを待つとしよう」という内容の説教をし、信者たちに新教会へ入るよう指示した。

 「人類を襲う災いが教会内に入ってくるのを防ぐため」ということで、信者たちは教団幹部らに指示されるままに、ちょうど台風の時にするように、教会の窓やドアに板を張り、太いクギを打って出入り口を締め切った。

教会内部と周囲の数カ所に、大小のガソリンタンクがいくつか置かれていたが、これは数日前に、「新教会に新しい自家発電機を買うため、燃料が必要なので」ということで、教団幹部が近くの村の店で買ったものだった。

 信者たちは、「教会の外で起きる」と預言された災いから逃れるために新教会に入ったが、全員が入った直後に、外に置いてあったガソリンに火がつけられた。


信者たちが入った入り口だけは、唯一外からクギが打たれていない脱出口だった。しかし悪質なことに、その入り口へ続く廊下の壁は、最初の爆破とともに崩れ落ちるようになっており、それらが崩れ落ちたあとは外に出られないように仕掛けられていた形跡があるという。


さらに事件後、当局の調べにより、教団の驚くべき実態が明らかになっていった。

 教団敷地内、教祖の住居の屋外トイレの穴の中から、3月17日の爆破事件の1週間ほど前に殺されたとみられる6人の男性の遺体が発見された。

それらの遺体は、身元が分からないように自動車のバッテリーの硫酸で顔を焼かれた上、トイレの穴に投げ込まれ、さらにその上からコンクリートを流し込まれて、見つかりにくいように遺棄されていた。

これについて捜査当局は、「信者の集団殺害計画を事前に知った一部の信者が教祖に詰め寄った結果、逆に殺害された」のではないかとみている。

 教団本部から50kmほど離れた別の礼拝施設の土の床の下から、153人の遺体が埋められているのが発見された。それらの遺体は、いずれも刺殺、または絞殺された後に埋められていた。

教祖の1999年末の預言がハズレた2000年1月以降、教団内部では、「教団はインチキ」、「教祖の予言は詐欺だ」と、批判する信者が増えていた。これらの遺体は、そのモメ事の中で殺された人々ではないかとみられている。

信者に会話を禁じていたのも、教団内部の事情について、信者同士が情報交換することを防ぐ目的があった可能性もあるといわれている。


当初、教祖は信者とともに教会で死んだと思われていたが、その後の調べで、遺体が確認されたのは3人の教団幹部のうち1人だけだということが判明した。

またカバンを持ってバス停に向かう教祖を見たという目撃証言があったため、残りの教団幹部2人も爆破直前に教団本部から逃げ出した疑いが濃いとされたが、いまのところ断定には至っていない。

教祖が信者と一緒に死亡している可能性もあり、教祖の目撃証言が誤りである可能性も否めない。教会の焼死体は、いずれも個人を特定できない状態にまで焼失しているので判別できないため、教祖、または教団幹部については現在も断定不可能な状態である。


しかし仮に教祖が生きているとしたら、教団が集めた財産を持って逃げた可能性が高いという。

教団は、信者たちが入信時に寄進した財産、栽培した農産物などを売却した資金を持っていたとされている。1999年の予言がハズレた後、苦し紛れに新しい予言を発表した教祖だったが、教団内は分裂しはじめており、破綻するのは時間の問題というところまできていたものと思われる。

教祖は、自分や教団に対して批判を唱えはじめた反対派を殺害し、次にカモフラージュとして新教会の完成式典を催した。そして全国の信者たちを呼び集め、集団自殺に見せかけて一気に殺し、教団の資金を持って自分だけ逃げたのではないかと、ウガンダ当局はみている。


ウガンダ国内における「神の十戒の復活を求める運動」のイメージは

どちらかというと「問題のない穏健な新興宗教」だった

ウガンダでは、ここ数年、いくつもの新興宗教が生まれており、当局は懸念を感じていたという。ウガンダは、1970年代に“食人大統領”といわれる(映画にもなった)アミン大統領の独裁政治により、30万人以上の反政府派の人々が殺害され、経済は破綻していた。その後も何度もクーデターが繰り返され、人々は政治に対する希望を失ったという。

また数年前からエイズが蔓延し、成人の10%前後が感染する事態となっている。アフリカ各地でも干ばつや大水害が続いていた。このような独裁政治、エイズ、洪水の生活苦の中で、人々は不安を増幅させていったのだろう。「いまにもっと大きな災害がやってくる」という終末観は強まるばかりだったという。

そんな中、ウガンダだけでなくアフリカの多くの国々で、従来のキリスト教会や政府など、それまでに正しいとされていた既存の権威や権力を強烈に批判し、独自の精神世界論を唱える宗教者がいたるところで登場しており、各地で問題を起こしていた。

ウガンダ北部では、「神の抵抗軍」(Lord's Resistance Army)という、キリスト教系の武装教団が結成された。彼らは小さな子どもたちを誘拐してきて軍隊式の集団生活をさせ、神の戦士として育て上げるということを行っていたため、1999年に政府軍が取り締まるという事態に至った。またウガンダ西部では、イスラム教系の反政府勢力も結成されている。

そうした中で、終末観を持っている人々に、「天国の良い場所を予約分譲する」と勧誘したり、「寄付をした者はエイズを治してやる」と持ちかける宗教家までが登場し、詐欺容疑で逮捕されることもあった。


このように数多くの怪しげな新興宗教が登場する中にあって、
「神の十戒の復活を求める運動」は、穏健な方であり、宗教法人として政府の認可も受けていたという。


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