生存者のある黒人女性はこう言う。
「ジム・ジョーンズは、私が家賃を払えなかったとき、立て替えてくれました。これまで私にそんなことをしてくれた人は一人もいませんでした。」
別の生存者の男性はこう言う。
「時間が十分にあったら、結果は違っていたはずです。皆、考える時間がほとんどなく、せかされるように薬を飲んだんですから」
精神分析学者はこう言った。
「事件がサンフランシスコで起こったのなら、何人かは逃げ出したでしょう。『死ぬのは一人じゃない。皆一緒なんだ』という一体感が決心を早める状況を作ったのかもしれない」
カルト研究の専門家は言う。
「信者たちは外界と隔絶されたジャングルの中にいた。新聞もニュースもない情報のないところで、彼らはごく簡単に一つの方向に導かれてしまったのでしょう」
事件後、現場から800通近いパスポートと、老人たちの年金小切手に関する封書が多数発見された。それらから彼らの心理が読み取れるような気がする。
ガイアナにいた信者たちは、持てるものすべてをジムに預けていたため、パスポートもID(身分証明書)も自分では所持しておらず、旅費も捻出できない状況にあった。
人によっては、帰れる場所も帰りたい場所も持っていなかったかもしれない。
彼らはジャングルの囚人であると同時に、その大半はジムに魂を明渡した依存者だった。

テレビはガイアナから北米に帰国してきた生存者たちの姿を映し出した。
空港に着いた彼らの多くは車イス姿だった。
彼らは口々に、「これからどうやって生きていったらいいのか...」と、暗い表情で語った。
遺体になって帰国した人々の多くも行き先に迷った。
一家が全滅して引き取り手がない遺体もあった。
集団自殺を拒否して逃げようとした信者がいたのは事実だが、教祖と共に死を選んだ者が多かったのも、また事実である。
彼らは、たとえ教祖ジム・ジョーンズがただの薬物中毒者で、妄想症のイカサマ詐欺師でも、この男に殉ずる以外、現実社会のどこにも、自分の生きていく場所を見出すことができなかったのかもしれない。
神や信仰について考える前に、ただ盲信し、頼り切り、信仰と依存を取り違えた者も多かったのではないだろうか。(※写真:中央に置かれたたらいにシアン化物入りジュースが入っていた)
< 参考書籍 >
戦慄のカルト集団 11の狂気教団が引き起こした衝撃の殺戮劇
人民寺院 ジム・ジョーンズとガイアナの大虐殺
ドキュメンタリー映画: 「アメリカン・バイオレンス」(1981年)
|