人民寺院事件

1978年 ― 47歳

11月14日

ついにライアン議員は、人民寺院の信者の家族、元信者、マスコミ関係者を含む総勢19人と視察団を結成し、ガイアナにある人民寺院の本拠地に向かった。

     

ライアン議員率いる視察団に対して、人民寺院側はなかなか門を開こうとしなかったが、このまま追い返しては余計な誤解が増すだけだと弁護士を交えて長時間説得された後、確かに得策ではないと判断したらしく、ライアン議員一行はようやく中に入ることを許された。(下の写真はライアン議員とジョーンズ)

ライアン議員とジム・ジョーンズ     

そこで一行が見た人民寺院の第一印象は、予想外に明るいものだった。子供たちは遊園地で遊び、大人の男は大工仕事や農作業に精を出し、女は料理や洗濯など、楽しげに生き生きと従事しており、実にのどかで充実した生活を送っているように見えた。

   

その夜はジョーンズ夫妻を中心に、一行の歓迎会まで開かれた。ジムは、コーヒーも野菜も果物も、みんなここの農場で収穫したものなんだと誇らしげに説明したという。

 

信者たちの働く姿を見ていると、どう見ても無理やり労働させられているようには見えず、外出の自由もない奴隷のような暮らしだという人民寺院批判は、根も葉もない噂に過ぎないのだと思われた。彼らが見た信者の生活は、実に牧歌的なものだった。

ジム・ジョーンズジム・ジョーンズ
しかし、それ以後4日滞在するうちに、一行の目には
人民寺院の別の顔が見えはじめる。


たとえそれらを見なかったとしても、考えてみればおかしなことはいくらでもあった。

たとえば、最初の晩の歓迎会の時でさえ、一行がちょっとでも信者たちに突っ込んだ質問をすると、彼らは決まって気まずそうに目をそらして話題を変えていたし、教祖のジム・ジョーンズの印象も、やはり普通ではなく異様なものだったのだ。

(※左右の写真はこの頃のジョーンズ。以前と比べると明らかに顔つきに変化が見られる)

当時彼は糖尿病が悪化して高熱が続き、薬の副作用で精神のバランスを失っていたというが、一行の質問に急に興奮して激昂したかと思うと、次の瞬間には涙を流したり、狂ったように絶叫するなど、常人には考えられない異常な反応を見せていた。


一行の一員であるレポーターが施設内を散歩している時に偶然に異様な小屋を見つけた。

厳重に施錠された小屋の中を覗いてみると、病気の老人たちがカイコ棚の粗末なベッドに寝かされ、所狭しと詰め込まれていた。ひどい悪臭で、不衛生極まりなく、ハエが飛び回り、蛆がわく小屋は、まさしく記録映画にある収容所のようだった。

その様子を写真に撮ろうとしていると、見回りをしていたガードマンたちに荒々しく止められた。

それが、紛れもなく教団の本性を垣間見た瞬間だった。

ライアン議員がその老人たちについてジムに指摘すると、彼はいきなりパニックに陥り、錯乱状態になってわめき出した。


11月18日

ライアン議員一行がガイアナを発つ日がやってきた。

この前夜、ライアン議員はジムに「帰りたいと希望する者がいるなら、帰国を許可してやってほしい」ともちかけた。

この申し出にジムは初め、ひどくショックを受け、混乱したようだった。脱退者が帰国してマスコミに何を言いふらすかを考えると、許可したくはなかっただろう。中傷されるのは目に見えている。

いまやジムが一番恐れているのは、人々からバッシングを受けることだった。しかしジムは、ライアン議員の提案を断わるわけにはいかなかった。断われば、「人民寺院は、束縛も搾取も差別もない。完全に自由な理想郷である」という彼の主張と矛盾することになり、人々は、「やはり人民寺院は人さらいだった」と、彼を糾弾するだろう。結局ジムはこの提案を受け入れた。

こうしてこの日、ライアン議員が帰る時間までに16人の信者たちが帰国したいと申し出た。

     
そして一行が出発しようとしたその瞬間、最初の事件が起きた。

    
信者の一人が、突然ナイフを手にライアン議員に襲いかかったのだ。

議員はナイフで切られて傷を負ったが、脇にいたジムは止めようともせず、ただ真っ青な顔をして茫然と立っていた。

それから1時間後、一行が空港に着き、二機の小型飛行機に分乗したときに第二の事件が起きた。
    
帰国するふりをして一行についてきた信者の一人が、突然彼らにピストルを発砲したのだ!

それと同時に、ジャングルの奥から人民寺院のトラクターがあらわれ、滑走路に浸入し、二機に近づいたところで一行に銃口を向け、一斉に撃ち始めた。 そのとき助かった記者は、のちにこう語っている。

    

「弾丸が左肩を貫き、私は地面に放り出された。その後やっとの思いで飛行機の車輪のかげに這っていった。NBCのカメラマンのボブ・ブラウンは、勇敢にもそんな状況の中でカメラを廻し続けていた。しかし一人の男が銃を手に彼に近づき、ショットガンを彼の顔から数インチのところに当てた瞬間、ボブの頭は吹っ飛ばされた。 この瞬間に見た光景は永遠に忘れないだろう」

   

このとき殺害されたのは、ライアン議員、NBCカメラマン、NBC記者、新聞記者、信者1名の合計5名だった。 目的を達成すると、トレーラーはジャングルの奥に消え去った。


その惨劇から約40分後の午後5時頃

ジムはパニックに襲われながら、最後の夜の集会を命じようとしていた。

  
収容所ではお馴染みのサイレンが鳴り響き、信者たちが召集された。

ジムは信者たちを前にすると、「もはや最期のときがきた」と告げた。

のちに公表された、人民寺院の最期の光景を録音したテープでは、ジムはこう語りかけている。

    
「私は、あなた方一人一人を幸福にしようと、全身全霊を傾けてきた。しかし一部の心ない嘘つきな連中が、我々の未来を破壊してしまったのだ。
彼らは我々をそっとしておいてはくれないだろう。今にもっと大勢の議員がやってきて、我々の居場所を奪うだろう。我々に生き残るすべはないのだ」

    
「我々は、みな死ななければならない。そうでなければ我々は、外界から破壊されてしまうだろう」

    
この日のサイレンは、いつもの予行演習ではなかったのだ。

このあと人民寺院の医師と看護婦が、飲みやすいように果物の香りがつけてある強力なシアン化物の液体の入った大きな容器を運んできた。看護婦はその液体を注射器に入れていった。

   
「まず子供たちが先だ。ただし子供たちに、死ぬのだということを悟らせてはいけない」

     
子供を持つ親たちが素直に前に進み出た。
本物の儀式
が始まったのだ。


ジョーンズタウンの信者たち生存者の証言によると、すべての信者が素直に集団自殺に従ったわけではないという。ジョーンズタウンの信者たち(※写真はジョーンズタウンの信者たちの生前の姿)

        

抵抗しようとした者もいたのだ。

   

ある女性は、「死ぬのはいやだ」とハッキリ言ったが、彼女の言葉は、他の信者たちの非難やヤジの声にかき消されてしまった。

ジョーンズタウンの信者たち      


またある者は、恐怖から半狂乱になり、その場から逃げようとしたが、
周囲を固めるガードマンたちから羽交い絞めにされ、無理やり薬を飲まされた。

   ジョーンズタウンの信者たち     

オデル・ローズという生還者が事故後に語ったことによると、
「死んだ約900人のうち、200人ほどは子供だという。

    ジョーンズタウンの信者たち     
「子供たちは泣き叫び、それを見てヒステリー状態になった親たちもいたが、全体的にはそれほどの騒ぎはなかった。とくに老人たちは、自分の番が来るのを待ちながら、ただ目の前の出来事を黙って見つめていた。大半の人がそうだった」

       

「みんな互いに抱き合い、別れの言葉を言ったあと、次々と薬を飲んだ。それから5分もすると、みんな目玉が飛び出したようになって苦しみもがき、地面をかきむしりながら死んでいった。私は、どうやってここを抜け出すか、そればかり考えていた」ジョーンズタウンの信者たち

         
自殺を拒否して反抗的な態度に出た信者は銃殺されたが、脱走して難を逃れた者もいる。当時ジョーンズタウンにいたのは約1100人だが、167人が生き残った。ジョーンズタウンの信者たち           

ガイアナの監察医は、死んだ915人のうち300人以上は他殺である可能性が高いと判断した。

逃げようとして銃で後ろから撃たれたと思われるものや、自分では手の届かない体の部位にシアン化物を注射されている遺体が多数あったのだ。

現場に最初に到着した軍の関係者は、テレビのインタビューで、

「逃げようとして後ろから撃たれたらしい遺体を数多く見た」とコメントした。


のちに公表された人民寺院最期の瞬間のテープは、
そのあまりの生々しさゆえに世間を震撼させた。
        

ジム: 「この自殺は敗北ではない!国家権力に対する抗議だ!革命的自殺なのだ!」

信者: (一斉に)「ダッド!(お父さん)

信者: 「あなたと一緒に生きてこられたことに感謝します!」

信者: 「これは死じゃない!別世界への旅立ちなんだ!」

       

拡声器を通したような声。

人々の阿鼻叫喚と共にバックに流れるオルガン音楽。

それがいつしかすべて止み、シーンと静まりかえる。

もう誰も生きていないのがわかる。

      
熱帯の南米では、915体の遺体はすぐに腐敗しはじめた。

そのうち267体が18歳以下、つまり子供の死体だった。

ジム・ジョーンズは祭壇の上で、右のこめかみに自ら撃ち込んだ一発の銃弾によって死亡していた。これについては、自殺か他殺か未だ不明だといわれているが、おおむね自殺と考えて間違いないだろう。

       

当時アメリカ政府が8000以上の文書を公開していないために、事件の真相についてありがちな憶測が飛び交っているらしく、一部ではCIAのマインドコントロール実験説まであるが、それは飛躍しすぎというものだ。

非公開文書は、単に政治家との癒着に関する証拠物件(票を集められるジョーンズに政治家が色々と取り計らってやった経緯や、またその逆の経緯なんかもあったので)をもみ消すための隠蔽工作だったのだともいわれている。

       

ナルシストで権威に弱い世間知らず、打たれ弱い性格で、ファザコンであったというジョーンズは、宗教バカ一筋に育ってきた。しかし一皮向けば俗物丸出しの奴隷使いだった自分に気付き、心のどこかでジレンマを感じてもいただろう。

肥大したブライドと猜疑心で、放っておいても、どのみち分裂症を招いたであろうことは容易に想像できる。 ジョーンズは、金儲けに宗教を選んだのが間違いであった。成功に酔いしれるうちに、深みにはまりこんでいったのだ。

彼は信者全員を道連れにすることで、彼らが救われると思ったのだろうか。
彼は誰かを救いたいと、本当に心から願っていただろうか。
彼は、本当に神を信じていたのだろうか?


生存者のある黒人女性はこう言う。

「ジム・ジョーンズは、私が家賃を払えなかったとき、立て替えてくれました。これまで私にそんなことをしてくれた人は一人もいませんでした。」

            
別の生存者の男性はこう言う。

「時間が十分にあったら、結果は違っていたはずです。皆、考える時間がほとんどなく、せかされるように薬を飲んだんですから」

          
精神分析学者はこう言った。

「事件がサンフランシスコで起こったのなら、何人かは逃げ出したでしょう。『死ぬのは一人じゃない。皆一緒なんだ』という一体感が決心を早める状況を作ったのかもしれない」

    
カルト研究の専門家は言う。

「信者たちは外界と隔絶されたジャングルの中にいた。新聞もニュースもない情報のないところで、彼らはごく簡単に一つの方向に導かれてしまったのでしょう」

       


事件後、現場から800通近いパスポートと、老人たちの年金小切手に関する封書が多数発見された。それらから彼らの心理が読み取れるような気がする。
     

ガイアナにいた信者たちは、持てるものすべてをジムに預けていたため、パスポートもID(身分証明書)も自分では所持しておらず、旅費も捻出できない状況にあった。
人によっては、帰れる場所も帰りたい場所も持っていなかったかもしれない。
彼らはジャングルの
囚人であると同時に、その大半はジムに魂を明渡した依存者だった。

      集団自殺直後の写真
テレビはガイアナから北米に帰国してきた生存者たちの姿を映し出した。

空港に着いた彼らの多くは車イス姿だった。
彼らは口々に、「これからどうやって生きていったらいいのか...」と、暗い表情で語った。

遺体になって帰国した人々の多くも行き先に迷った。

一家が全滅して引き取り手がない遺体もあった。

      
集団自殺を拒否して逃げようとした信者がいたのは事実だが、教祖と共に死を選んだ者が多かったのも、また事実である。      

彼らは、たとえ教祖ジム・ジョーンズがただの薬物中毒者で、妄想症のイカサマ詐欺師でも、この男に殉ずる以外、現実社会のどこにも、自分の生きていく場所を見出すことができなかったのかもしれない。
 

神や信仰について考える前に、ただ盲信し、頼り切り、信仰依存を取り違えた者も多かったのではないだろうか。(※写真:中央に置かれたたらいにシアン化物入りジュースが入っていた)


< 参考書籍 > 

戦慄のカルト集団 11の狂気教団が引き起こした衝撃の殺戮劇

人民寺院 ジム・ジョーンズとガイアナの大虐殺
ドキュメンタリー映画: 「アメリカン・バイオレンス」(1981年)




※写真引用元: npr  http://www.npr.org/    Alessia Home Page  http://alessiaguidi.provocation.net/    The Levels of Human Experience http://www.arachnoid.com/levels/jonestown.jpg  

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