1973年 ― 42歳
教団へのバッシングが本格化する前に、ジムは教団本拠地を南米のガイアナに移転。
ラジオの全国放送を始め、教団は全国的に有名になり、1973年には入信者は2500人にまで増加していた。ガイアナへ移るために巨額の費用が費やされた。その額は100万ドルを超えていたという。
その資金をもとに購入したガイアナの300エーカー(124万平米)の土地に「ジョーンズタウン」という名のコミューン(集落)が建設される。(※写真下はジョーンズタウンの住居)
ジョーンズタウンへの通信手段は、郵便と短波無線以外まったく隔絶されており、それらの通信手段ももちろん監視されていた。
ジョーンズタウンはジムの独裁国家だった。
信者たちは男女別に分けられ、子供は親から隔離されたところに置かれ、劣悪な環境下でシラミや伝染病にあえいでいた。
ジョーンズタウンは、事実上ジムと白人だけの少数の側近が支配する植民地だった。黒人信者たちは灼熱の熱帯で奴隷のように農業に従事させられた。
朝から日が沈むまで農作業をしたあと、強制参加の集会が始まり、夜中2時〜3時まで延々と行なわれたという。
ルールは憶え切れないほど定められており、少しでも違反した者は容赦なく殴られた。
そうした懲罰は日ごとに激しさを増し、拷問と呼べるものへと変貌していったという。
そして女性信者への懲罰は、時々性的な暴力に発展した。
ジムは、長期に渡って興奮剤や精神安定剤を常用していたため、妄想はひどくなる一方だった。
暴力によって支配され、外界と完全に隔絶されたジョーンズタウンで、彼の妄想に飲み込まれないで済む者は1人もいなかった。信者たちに禁欲を説いていたかと思えば、ある時は、性的自由のない結婚は反革命的だとし、配偶者の不倫に嫉妬すると公然と非難した。男女を問わずセックスについてあからさまに語るよう強要することもあったという。
1973年、ゲイの集まるマッカーサー・パークで男性に猥褻行為をしたとして、ジムは逮捕された。
彼は起訴を免れるかわりに罪を認める文書に署名した。
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