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十字軍とは何のために編成された軍隊なのか?
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『中世に西ヨーロッパのキリスト教徒諸国が、聖地エルサレムを異端であるイスラム諸国から奪還するべく派遣した遠征軍』
・・・とは、表向きであって、コトの起こりは1095年、東ローマ帝国・皇帝アレクシオス1世が、領土であるアナトリア半島をイスラム王朝のセルジューク朝に占領された時、ローマ教皇にSOSを送ったのが発端である。
そもそもこの時、アレクシオス1世が頼んだのは「傭兵を援軍に寄こして」というものだったのに、ローマ教皇・ウルバヌス2世は、「しめしめ。この機会にカトリック教会の勢力を広げて、ついでにイスラムの奴らを根絶やしにしてしまえば一石二鳥じゃて。ほーっほっほ。わしって天才かも〜」と、フランスの騎士軍に指令し、更にキリスト教徒の敵対心を煽るため、次のように人々を扇動した。
「不吉な民族を我らの領土から追い出すのだ!これは聖戦である!この戦闘で命を落とした者は、この世の罪を許されるであろう!」
そうしてイスラム諸国に因縁をつけて勢力を拡大することを目的とした十字軍の遠征の歴史は、全部で7〜8回まで続いたとされているが、ここでは第1回〜第4回までの十字軍出兵を簡単に紹介。
第1回十字軍(1096年〜1099年)
フランスとイタリアの諸侯・騎士から編成された第1回『聖戦』の戦果は以下の通り。
◆
アジア・シリア地方のイスラム王朝・セルジューク朝の諸都市とファティマ朝の支配下に
あったエルサレムを占領。
◆
新たにエルサレム王国、エデッサ伯国、アンティオキア公国の3国を建国した。
◆ この時、老若男女のイスラム教徒7万人を無差別に大虐殺。
第1回十字軍の首謀者・ウルバヌス二世は、この戦果に大満足だっただろう。しかし、イスラム側や東方正教会側からは、十字軍は単なる侵略軍・略奪集団と考えられていた。
第2回十字軍(1147年〜1148年)
ここに至るまでしばらくの間は、聖地においてキリスト教徒とイスラム教徒は共存する状態が続いていた。ところが、イスラム教徒が盛り返しを見せ、エデッサ
伯国を占領したことでヨーロッパでは危機感が募り始めていたことから、教皇エウゲニウス3世の呼びかけで第二回十字軍が結成された。名説教家として名高い
クレルヴォーのベルナルドゥスが、教皇たっての頼みで各地で十字軍参加の勧誘を行った。
フランス王ルイ7世と神聖ローマ帝国皇帝コンラッド3世の二人を指導者に、多くの従軍者たちが集まったものの、統制がイマイチで、これといった戦果を挙げることなくイスラム軍に敗北した。なんとかパレスチナにたどりついた軍勢もダマスカス攻略にことごとく失敗し、フランス王率いる彼らはほうほうのていで撤退を余儀なくされ、わずか1年で全軍が退却した。
第3回十字軍(1189年〜1192年)
イスラムの英雄として名高いサラーフッディーン(サラディン)により、およそ90年ぶりにエルサレムがイスラム側に占領された。
そこで、聖地奪還のための十字軍を呼びかけたのは教皇グレゴリウス8世。
ライオンハートの名で知られるイングランドの第二代王・獅子心王リチャード1世、フランス王フィリップ2世、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世が参加した。
フリードリヒ1世は1190年にキリキアで溺死。あとを継いだイングランドとフランスの十字軍が1191年にアッコンを奪還した。その後フィリップ2世は帰国し、リチャード1世がサラーフッディーンと休戦協定を結んだことで聖地エルサレムの奪還は失敗に終わった。
第4回十字軍(1202年〜1204年)
悪名高き第4回十字軍である。第1回目から100年が経過して目的が歪む十字軍。
ローマ教皇インノケンティウス3世の呼びかけにより、今度はなぜかエルサレムではなく、イスラムの本拠地・エジプト攻略に向けて出兵。しかし、渡航費にも事欠く有様であった彼らは、ヴェネチア商人たしの商圏拡張の意向を受けると、スケベ心一色の傭兵軍団と化したのか、聖地奪還なんてお題目はすっかり忘れてしまったらしい。クルッと向きを変えて、ハンガリーを征服。
同じキリスト教国を攻撃したことで、さすがの教皇も十字軍を破門にしてしまった。
本来、教会から破門されたのなら、そこで終わりになるはずの「神の軍隊」なのだが、彼らの進軍は衰えず、次いで同じキリスト教国である東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを征服して、なんとそこでフランドル伯が皇帝になりラテン帝国を建国してしまう。
こういう時に限って、めっぽう強いの十字軍。
この際、十字軍によって同じキリスト教徒であるコンスタンティノポリス市民の虐殺や略奪が行われた。こうなると聖戦どころかただの盗賊である。
十字軍には東方十字軍(東方植民地運動)や北欧の北方十字軍など、本来の十字軍とは区別されるものが多々あり、私のような歴史に疎い者には実にややこしいのだが、1270年までに十字軍が出兵した中で、純然たる十字軍として出兵した回数について(教会から波紋処分になっていたフリードリヒ2世が出兵した十字軍を数に入れるか否かで)も、7回とも8回ともいわれており、ホントややこしいのだ。
そんな十字軍だが、第1回からなんと170年以上にも渡って延々と続いたことだけは確かだ。
それ故、歴史に残るのも頷けるが、内容がうろ覚えになるのにも頷けた。
もともとは(教皇のスケベ心はあったものの)聖地エルサレムの奪還を目的としていたはずの十字軍だが、回を重ねるごとに略奪行為などが目立つようになる。十字軍に参加した諸侯の中には宗教的な動機ではなく、単に財宝目当ての動機だけで参加した者も多くいたからだといわれている。それが顕著に現れたのが第4回十字軍であり、当時十字軍に参加した者たちの動機の不純さを露呈しているといわれている。
その上、当初はイスラム教徒(異端)に向けられていた敵対心も、のちには「『正当なキリスト教徒』から見た『正当でないキリスト教宗派』」や、ローマ教皇庁から異端とされた教会なども十字軍の名のもとに討伐された。
これはもう、聖地奪還の仮面を被った悪魔の集団である。
ショボい小競り合いや負け戦が多いのもあるが、世界史の中にあって、全体的にいまひとつパッとしない存在の十字軍。そして多くの人に、「なんだかよく分からん軍隊のなんだかよく分からん遠征」として記憶されている彼らの長きに渡る遠征。
学校の授業で習っただけで、これらのなんだかよく分からん出兵までいちいち覚えている人は、自分の記憶力を誇っていいと思う。
【
800年後 ― 十字軍が遺した傷跡
】
十字軍遠征の時代から800年経った現在でも、イスラム圏では『十字』は略奪のシンボルとして忌み嫌われている。その十字をシンボルを用いている赤十字のマークもイスラム圏では忌避されているため、『赤新月』などの別の言葉やシンボルで活動することを余儀なくされている。
2003年の対イラク戦争をアメリカのブッシュ大統領は「聖戦だ」と言い、アメリカ軍を「十字軍だ」と表現した。しかし案の定、イスラム圏からの猛烈な反発によって、すぐさま撤回した。
でも、これって間違いではなくて、正直すぎる表現だったという気がするけど・・・